路地裏:戦慄の心霊スポット:神奈川県1

路地裏:戦慄の心霊スポット:神奈川県1

<< 前のページに戻る

緑山峠 ・神奈川県青葉区某スタジオ付近

・レポート ・体験談 ・動画1 ・動画2 ・動画3 ・動画4 ・お客様の声

横浜市青葉区ある某TV局緑山スタジオ。スタジオの西側にメイン通りがあるのだが、以前は東側を走る蛇行した道がメイン通りであった。曲がりくねった道程が当時の若者を刺激したのか、深夜には“走り屋”たちの格好の見せ場となっていた。そのため事故も多く死亡事故さえ起き、それと共に霊的な噂が聞かれるようになった。

例えば昭和63年のころ、私は通勤の際に、この緑山峠を使っていた。深夜の帰路の際に何気なくコーナーの左側に目を向けると、白く細長い物体が見える。不思議に思うも、その日はそのまま通り過ぎてしまう。通勤道であるため翌日も同じ道を通ったのだが、またも同じ物体を目撃してしまう。今度は速度を緩め物体を確認するのだが、何故か消えてしまう。そんなことを再三繰り返していたのだが、私の職場の転勤と共に、この緑山峠を使う機会がなくなった。それから幾年が経過したころだろうか。気が付けば緑山峠は閉鎖され遊歩道と化していた。

とあることから遊歩道を歩く機会があり、当時を思い出しつつ物体が見えた辺りを眺める。するとこの場で亡くなった者の碑なのであろう石碑を見つけた。碑には事故死した方へのお悔みの言葉と命日が刻まれている。そして記された事実を知り、私は改めて恐怖を感じつつも複雑な気持ちになったという。

何故なら石碑の置かれていた場所が、白く細長い物体を目撃した現場と同じ位置だから。碑に刻まれた年が物体を目撃した頃と同じ昭和63年だから。そして訪れた日がちょうど命日だったから…。

打越橋 ・神奈川県横浜市中区

・レポート ・お客様の声

JR根岸線関内駅から国道16号線を曙町方面に約500mほど進み長者町5丁目の信号を左折。そこから1kmほど進んだところに、切り通しの天辺に赤色の鉄橋が見えてくる。それが打越橋だ。

神奈川の橋100選の1つにも選ばれる有名な橋なのだが、かつてより心霊スポットとしてTV等のメディアで取り上げられている橋でもある。

いまでこそ橋の側面にはフェンスが張り巡らされ、そう易々と飛び降りれなくなったが、かつては自殺の名所として幾人もの自殺志願者が身を投じた場所だという。その自殺者たちの霊がこの橋を彷徨い目撃され、やがて心霊スポットとして取り上げられるようになったのであろう。橋の下を車で通行すると、橋の上から飛び降りやがて消えてしまう霊の姿がたびたび目撃されている。また見る人によっては、橋と下を走る道路との空間には様々な霊体が浮遊しているのが見えるとのことである。

飛び降りを防止するフェンスの設置により、近年では自殺者の数も殆どなくなったというが、過去にこの地で亡くなられた霊体が、様々なかたちで現代を生きる我々にその存在を誇示しているのであろうか。現地にはお地蔵様が橋の下に奉られているのだが、その表情がいかにも寂しげであるのが印象深い。

なお、以前は橋の袂に電話ボックスが設置されており、そこでも霊がしばし目撃されていたが現在は撤去されている。

H村の池 ・神奈川県横浜市青葉区

・レポート ・動画

・情報提供者:ポイネット様

昔にこの池にて溺死者が出たらしく、現在は金網で仕切られている不気味な池だ。この池で写真を撮影した所、霊体と思われる物体も撮影されたとの情報もある。

神奈川県立博物館 ・神奈川県横浜市中区

ここを“心霊スポット”と呼んで良いモノだか…。気の咎める部分もあるのですが、噂は多々聞かれるのでここに紹介しておきます。

大正12年に起きた関東大震災。その大地震時には、何所も彼処も“地獄絵”であったと思われ、ここで紹介する「神奈川県立博物館」も惨劇の場であったと言われている。

その震災の際に、丈夫な建物であったこの建物は倒壊を免れる。そこへ逃げ込み難を逃れた者が数百人いるのだが、中に入り切れず逃げ遅れ、やがて迫り来る炎に焼かれ亡くなられた方も大勢存在たと言われている。

その逃げ遅れて助からなかった方々の霊の仕業なのか、夜な夜な“うめき声”や、建物の壁を爪でガリガリと引っ掻くかのような“音”が聞こて来る言う。成仏できないでいる魂は、当時の地獄絵を今も見続けているのだろうか…。

小机城址市民の森 ・神奈川県横浜市港北区小机

・レポート ・お客様の声 ・動画1 ・動画2 ・動画3 ・動画4

小机城と聞いて、戦国時代が好みの私としては、つい後北条氏の城と認識してしまう。
もっともその認識は、決して間違いではない。この地域が北条氏の勢力下になると、廃城となっていた小机城を修復し北条氏の城となったのである。

上記に「廃城となっていた」とある様に、小机城は一度廃城となった歴史がある。その辺りの事情は、現地の案内板を参照すると分かりやすいので、以下に引用させて頂く。


 その後、山内上杉家の家臣長尾景春が、家督争いに端を発して反乱を起こした時、景春に味方した矢野兵庫助らが城にたてこもり、北方の亀之甲山(現在の日破町亀ノ子橋付近)に帯陣した上杉方の太田道灌の率いる軍と戦いました。
 城は文明10年(1489)に攻め落とされ、上杉氏もやがて北条早雲に追われ、小田原北条の領地となり、40年間廃城となっていました。


以上、小机城址市民の森案内板「小机城について」より抜粋


上記の通り、40年間の廃城の後、北条の城となり、やがて来る1590年の豊臣軍の小田原攻めにより北条は滅亡。小机城は無傷のまま落城の運命を辿るのである。

その様な事から、現地の血生臭い霊的な噂の根源は、一度目の落城の際の戦死者の可能性が高いと思われる。もっとも、勿論それが全てではないのだが、もし小机城の霊に関し、こだわって調べようとするならば、文明10年の落城の歴史を調べてみると良いと思う。

しかし、そんな血生臭い云々以前に、現在の小机城址市民の森は、実に長閑で平和な空間が広がっている。
そんな小机城址市民の森の何よりの見所は、空堀に群生する竹と、そこに伸びる遊歩道だろう。見事なまでに竹が生い茂り、独特の素晴らしい空間が演出されている。

もっとも、これは昼間における小机城址の印象であり、夜間はやはり不気味な空間へと変貌するのだろう。深夜に肝試しに訪れる若者も多いらしく、随所に「深夜は静かに!」といった注意書きが見られる。周辺には民家も非常に多いので、近隣に対する配慮は最優先すべき事であるのは言うまでもない事である。

本牧十二天 ・神奈川県横浜市中区

・レポート ・お客様の声

本牧和田にある「新本牧公園」の奥に存在する「本牧神社」。
この神社の旧称は「本牧十二天」といい、建てられていた位置も現在とは違う場所である。もともとは、当時の本牧岬の先端に建てられており、現在の地名で言うならば、小港町の「小港南公園」付近となる。

戦後まもない頃、この本牧十二天に住んでいた女性が殺害された事があったと言う。また、のちの1980年代にも、殺害された女性の遺体を遺棄すると言う事件が起きた。

この二つの事件が関連してか、はたまた土地が事件を招いたのか…
どちらにせよ、付近では


老婆が路上にたたずみ、やがて消え入ってしまう

女性の(ものと思われる)弱々しい声が聞こえてくる


といった内容の情報をよく聞く。

八王子市某所の心霊スポットもそうなのだが、ほぼ同一の場所で、複数の事件が起き、そして心霊スポットとして噂される事が少なくない。本来ならば、安易に「同じ場所が偶然えらばれた」と解釈するべきなのだろうが別の要因(霊的なもの)を、つい想像してしまうのは少々強引であろうか?

考えを張り巡らせば、様々な事を原因として想像してしまうのだが、この地で2つの悲しい事件が起きたのは事実。私が手をあわせた所で無力なのは重々承知の事だが、それでも冥福を祈らずにはいられない。

余談だが現在の「本牧神社」では、手前の「新本牧公園」の中に作られた滝、そこから流れる川で、温かい季節には子供達が水遊びを楽しむ。この微笑ましい情景を、いつまでも見続けていたいと願うのは、何よりこの「本牧神社」自身ではないかと、まこと勝手ながら想像してしまう。

S上市民の森の池 ・神奈川県横浜市栄区

・レポート ・お客様の声

・情報提供者:のの様

3~4年前に何回か行きました。たしか地元の人に連れてかれました。

脇に流れてる川の道を、車で(てゆうか、すれ違えないから危険)奥まで行って、ちょうど車が止められる位のスペースがあるんですよね。たまーに、変なものが見えてしまう私はとりあえず車から出れず、ちっちゃい川を正面にして止めた車の助手席にいました。

不思議と怖くなかったので、ぼーっとしていると、川の向こうの木の中に、人の大きさ(1mとか)のでかい女の顔がでてきました。その後は、もうどんどん顔がでてきてすぐ帰りました。

後日、友達集団が行って池の周りをまわったところ、木の上に子供が座っていたり、たっくさん見たそうです。みんな嘘はつきません。

ちなみに地元っこがゆうには、散歩にでたおじいさんが事故か自殺なのか池で亡くなったらしい。大した内容ではないのですが、参考までに。

王禅寺付近の墓地 ・神奈川県川崎市某所

・レポート ・体験談 ・動画 ・お客様の声

神奈川県川崎市王禅寺付近の墓地で友人が霊体験をした。情報主の仮名H氏によれば「足を引っ張られる」という話だ。現地を実際に訪れた際にも、ただならぬ雰囲気を醸し出しているように感じ、また不思議な出来事にも遭遇している。それが恐怖体験談でも紹介している「窓の向こうに」である。

緑ヶ丘霊園:さとしちゃん像 ・神奈川県川崎市高津区

・レポート ・体験談 ・お客様の声

JR南武線津田山駅南口より、徒歩で数分進んだ場所に緑ヶ丘霊園がある。
この霊園のとある区域に、「さとしちゃん像」と呼ばれる慰霊塔が建てられていた。像の付近には池がるのだが、その池に「さとしちゃん」が誤って落ち溺れ死んだという。その「さとしちゃん」を慰めるために両親が建てたのだが通称「さとしちゃん像」である。

この像の運命は悲運であった。あるころより、この像を悪戯する若者が出始めた。像の首はもがれ、補修してもなお首は誰かしらに折られるという心無い悪戯が続いた。この悪ふざけにしては度が過ぎる行為に業を煮やし、やがてさとしちゃん像は撤去され、現在はその台座だけが寂しげに残っている。

実はこの悪戯行為が行なわれるより以前に、現地ではこんな噂が聞かれていた。

「深夜この霊園を歩きまわる子供の霊がいる」

というものである。その子供の霊が「さとしちゃん」であると地元で囁かれ始め、やがてこの像を見つけ出され、深夜には“きもだめし”の場として若者が集まるようになった。そして例の悪戯行為に発展してしまったのだが、その時期より「首を捜す子供の霊」が目撃されるようになる。また悪戯こ行なった若者に、様々な不幸が訪れたという噂が聞かれたのも同時期だという。程なくして「さとしちゃんの呪いだ」と囁かれ始るのだった。

鶴岡八幡宮:蓮池 ・神奈川県鎌倉市鶴岡八幡宮

初詣などで有名な「鶴岡八幡宮」。その敷地内に蓮池が存在するのだが、その蓮池は心霊写真が撮れるとして有名である。歴史ある神社だけに、多くの霊も自ずと集まってくるのだろうか、撮影に成功したと言う報告例は多いそうだ。

断崖の洞窟 ・神奈川県鎌倉市稲村ヶ崎

相模湾を見渡す稲村ヶ崎の断崖には、戦時中に作られた要塞の跡と言われている洞窟がある。

その洞窟は、深夜になると白く光る不気味な人影が出入りするのを目撃したとの噂がある。この要塞を作る際に、土砂崩れなどにより亡くなられたり水難事故により犠牲になった方々が出入りしているのだと噂されているが、果たして一体?

材木座海岸 ・神奈川県鎌倉市

先に紹介した「稲村ヶ崎」からそう遠くない場所に「材木座海岸」がある。
シーズンともなれば海水浴で賑わう場所であるが、それだけ多くの方々が集まれば、水難事故の確率も増えてくる。その亡くなられた方が霊となり、霧の多い深夜に全身びしょ濡れの水着姿で道路を横切るとの噂だ。

散○ヶ池:鎌○湖 ・神奈川県鎌倉市

・レポート ・お客様の声

・情報提供者:繭様

神奈川県の「散○ヶ池」(別名:鎌○湖)。
バラバラ殺人があったとか、水死した子供の霊が出るとか、数人で訪れた場合、車に携帯を1台残して歩いてると、その携帯から何者かが電話をしてくるって噂さがあります。
…が、しばらく歩いたところで、誰も携帯を車に置いてきていないことに気づき、テストは出来ませんでした。

池自体は思ってたよりも大きく、池の側に管理人の建物があります。鯉がたくさんいるので、エサを持っていくといいでしょう。遊歩道のせせらぎは、小さな蟹やアメンボがたくさんいます。一見のどかですが、一人で薄暗い小怪を歩くのは怖いです。昼なのに、木が多いせいか薄暗いです。4人で行ったんですが誰も霊体験はなく、無事に帰りました。

北条高時腹切りやぐら ・神奈川県鎌倉市

・レポート ・動画1 ・動画2

「北条家が集団自決した地」として非常に有名な場所。

1333年、新田義貞が鎌倉へ進撃し、それを迎え撃った北条氏だが敗退してしまう。
この攻めの際、鎌倉幕府の戦力のほとんどは戦死、自害などにより壊滅状態となり、結果鎌倉幕府は滅亡の道を辿る事となった。

北条高時とその一族は、この際に北条家の菩提寺である東勝寺へと逃げ込む。追い詰められた高時とその一族870余名は、この寺に火をつけ自決する事となる。言わば“鎌倉幕府滅亡の地”と言える。

この地では、高時らが自決した年数に相応しい格好をした霊(即ち武士)の目撃談が聞かれたりする。これだけ多くの命が、無念と共に一度に亡くなった土地であると考えれば、現代で噂されている霊的な出来事も頷けなくもない。

しかし近隣に住む方から話を聞いてみると“ただただ静かなところ”だと言う。それが近年になり、深夜に訪れる方々の騒がしい行為に、ほとほと頭を悩ませている様子も伺えた。

この「北条高時腹切りやぐら」は、“散策”程度に考え、日中の明るい時間帯に訪れるべきであろう。“歴史を肌で感じる”という意味合いで訪れるなら尚良い事と思い、最近の私の探索も、こういった考えで訪れる傾向が実は大きい。

どちらにしても、私は深夜に訪れる事はご遠慮したいと思う。もちろん一番の理由は、近所の方々に対し、それが大変失礼な行為となってしまう事なのだが、漆黒の闇を潜り抜け、その先に待ち構える「北条高時腹切りやぐら」に足を踏み入れる勇気がないのも事実だ。この地に今も残る事実は、私にはとても深く、そして重く思えてくる。

様々な意味合いで、深夜にふざけ半分で訪れる行為だけは、ご法度としたい。(これはどの現場にも言える事なのだが…)

釈迦堂口切り通し ・神奈川県鎌倉市大町

・レポート ・動画

そもそも、“心霊スポット”と呼べるかどうか疑問のある現場なのだが、多かれ少なかれ噂がないわけでもなく、また実際に訪れた際に、なかなかの雰囲気(決して霊的なものではなく、あくまでもトータル的な雰囲気)を感じたので、紹介することにする。

この辺一体は「釈迦堂ヶ谷:しゃかどうがやつ」と呼ばれ、そこから大町に抜ける道に、この「釈迦堂口切り通し」は存在する。手掘りのトンネルが見せる独得の形状が印象的であるこの釈迦堂口切り通しは、杉本城(現杉本寺)と名越、三浦方面を結ぶ重要な道であり、その構造からして軍事的にも重要視されていたと思われる。

釈迦堂ヶ谷という地名の由来は、北条泰時氏が父義時の一周忌の際に立てられた釈迦堂から付いたものなのだが、現在では釈迦堂は廃絶し、その地名だけが残ることとなる。なお、地元の人間は、この地名を「しゃかんど」と呼んでいたらしいのだが、現在でもそう呼ばれているのかは(現時点では)確認していない。

上に、「軍事的にも重要視されていた」と書いたが、要するにその名の通り割いた切り通しは、攻め上る兵士達が一方向に纏められてしまい、それを迎え撃つには絶好の地形であったという事である。即ち、この地で亡くなった人間は少なくないといえる。また、この切り通しを造る際には、幾人の犠牲者が存在したのかもしれない。トンネルの壁面には横穴が開けられ、その中に奉納された地蔵が、その事実を伝えているように思えてくる。

要するに、亡くなられた人が多く存在したと言える訳であり、そういった歴史が、時を経た現代に、心霊スポットとして着目されているのだと個人的に思えてくる。「鎌倉時代に亡くなられた武士の霊が彷徨っている」などといった噂話が、典型的なものと言えるのではなかろうか…。

なお、現地は落石の危険性から通行禁止となっている。しかし実際には、鎌倉散策として現地に訪れている観光客は存在し、私が訪れた際にも数名の観光客と思える方々が、現地の雰囲気を堪能していたのが印象的であった。

小坪トンネル ・神奈川県鎌倉市~逗子市

・レポート ・体験談 ・動画1 ・動画2 ・動画3

あまりにもメジャーとなってしまった心霊スポット。個人的にも幾度となく深夜に訪れた記憶がある。
典型的な、いわゆる「お化けトンネル」であり、その噂も「手形が付いた」という典型的な物が聞かれたりする。
また鎌倉近辺という土地柄も手伝ってか、観光スポットと化している観は否めない。

霊の出現する原因を簡素にまとめれば、付近に火葬場が存在する為などと噂されたり、この付近には「曼荼羅(まんだら)堂」が存在し、この付近一帯が「まんだら堂やぐら郡」と言われる墳墓窟があり、その存在の為とも言われている。

因みにまんだら堂は、2004年に取材で訪れた際には非公開とされていたが、現在は臨時に公開するなど、徐々に人の目に触れられるようになっていきている。

名越切通し ・神奈川県鎌倉市~逗子市

・レポート ・動画1 ・動画2 ・動画3 ・動画4

上記の小坪トンネルの上部にある「名越切通し」の存在も、何気に見逃せない雰囲気を醸し出している。

鎌倉七口の1であるこの名越切通しは、小坪トンネルの上部を通る古の道であり、国の指定史跡でもある。歴史ある切通しの姿は趣ある姿で、また見方によっては不気味ささえ感じる。条件の良い時、例えば深夜などにこの地に立てば、霊的なスイッチも自ずと入ってしまいそうな雰囲気ではあるが、現代人が歩くにしては足元が非常に良くなく、別の意味で危険な場所に変貌してしまう。

また、先にも書いたように名越切通しは指定史跡という歴史的にも重要な土地でもある。扱いには最善の配慮を払うのは、最低限の礼儀なのは言うまでもない。

三浦海岸 ・神奈川県三浦市

神奈川県三浦市の三浦海岸では、これまでに沢山の溺死者を出している。泳いで亡くなった人、釣りに来て亡くなった人と、その死因は様々である。

そうした溺死者の霊体が、三浦海岸で多く目撃されている。夜釣りをしていて目撃した人、海水浴中に足を引っ張られた人、霊に話かけられた人と、その出現のパターンは様々だ。霊体も男、女、大人、子供と多種多様である。そのような部分を踏まえると、かなりの霊体が存在するのは容易に想像できる。

観音崎 ・神奈川県横須賀市

・レポート ・お客様の声 ・動画1 墓石群 洞窟:公衆トイレ 遊歩道~トンネル 3分間トンネル周辺 3分間トンネルその1 3分間トンネルその2 砲台跡 戦没船員の碑

上記の三浦海岸付近は「観音崎」という場所がある。
そこの中には戦時中に使用していたと思われる防空壕が複数あり「不気味」な雰囲気を醸し出している。現地に行く機会に恵まれ調査したところ、防空壕付近のトンネルで明らかに調査メンバー以外の声が私ともう一人に聞こえ、その声の収録にも成功している。

千駄ヶ崎トンネル ・神奈川県横須賀市野比

・情報提供者:ヤングタイラー様

2005年8月末、夜中の2時に、私は彼女と一緒に車で三浦方向から、このトンネルに入ろうとしました。
すると左の歩道に、妙な歩き方をしている男性を見かけました。
こんな夜中に、こんな場所を歩いている人も珍しいと思いながらもう一度振り返ると、その男性の姿はありませんでした。
もちろん、その場所には横に入る路地や建物などは全くありませんでした。
その瞬間全身に鳥肌が立ちました。

その1年後に、トンネルの上のホテルが廃業し取り壊されましたが、噂に聞くとそのホテルも幽霊が出たとのことでした。
誰か情報をお持ちでしたら教えて下さい。

幽霊マンション ・神奈川県横須賀市

・情報提供者:pukapuka77様

神奈川県横須賀市の自衛隊基地の横を通る国道沿いに今も手つかづの マンションが建っています。
以前からそのマンションの前にある国道では事故が耐えず、私の記憶するところでは今から15年ほど前には確かラブホテルが建っていたのですが、幽霊が出る噂などから客足が遠のきついにはつぶれたそうです。
多分10年前くらいだと思うんですが、現在建っているマンションの計画ができ、着々と工事は行われましたが事故が耐えず、ついには受け持ってくれる業者がなくなるというアクシデントにあったそうです。
7~8年前あの有名な織田無○氏が除霊を行いに来ました。そしてその後工事を再開しビラも配り入居者を募りました。値段は覚えてませんが確か安かったと思います。しかし、除霊しても事故は耐えず結局今ではまたそのまま放置されています。噂では1度は解体を決意したものの解体業者が受け持ってくれず懸賞金をつけたこともあるとか。
さらに噂ですが、はるか昔そこには池があって台風であるにもかかわらず自衛隊は無理やり訓練を行い何人かが溺れ死ぬ事故があったらしいです。
確かにそばに慰霊碑らしいものがあります。地元の人間にはかなり有です。

*廃墟物件は管理されている可能性があります
そういった物件は基本的に立ち入り禁止となっております
なお、不法侵入したうえで起きた如何なるトラブルも、当サイトでは一切の責任を負わないものとします

佐×神社園 ・神奈川県藤沢市

神奈川県藤沢市にある「佐■神社」では、これまでに五寸釘で打ち込まれた呪いのワラ人形が数多く発見されている。

「呪いのワラ人形」の効果が、実際のところ存在するかどうかはハッキリとはしないが、この境内の木に三体のワラ人形が打ち込まれた後、三人の男性が原因不明の死にかたをしていると言う話も聞く。

呪いの効果か、それとも偶然かはハッキリとはしない。しかしこの「佐■神社」では、どうやら遥か昔から「呪いのワラ人形」が打ち込まれているらし。

小出川:■園橋付近

・神奈川県茅ヶ崎市

神奈川県茅ヶ崎市小出川に掛かる■園橋付近で、霊が目撃されたと言う報告がある。

ここで水死した人が地縛霊化していたり、もしくはその付近で事故死した霊などさまざまな霊体が存在しているという話だ。事故死した霊がさらなる事故を呼んでいるといった情報さえ聞かれる。付近を訪れた際には、このような事例に巻き込まれないような心構えが必要なのかもしれない。

路地裏:心霊スポットの投稿について

・当サイトでは、心霊スポット情報を常時募集しています。何かと噂されている心霊スポット情報をお持ちの方は、ぜひ投稿して下さい。なお、投稿の際には下記の投稿フォームや掲示板をご活用下さい。

・投稿フォーム全国版 ・投稿フォーム ・掲示板

注意事項

・当サイトに掲載している心霊スポット画像および心霊スポット紹介文などの文章を、無断で使用することは禁じています。

・当サイトでは、心霊スポットへ訪れる行為および不法侵入を推奨してはおりません。実際に訪れた際における様々なトラブルについて、当サイトではその一切の責任を負わないものとします。

・参考文献一覧

<< 前のページに戻る

↑ PAGE TOP