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■第一七話
悪い冗談〜後編〜

早朝の電話。
「事故を起こした」と言う内容に、様々な想像を張り巡らせる。

「事故を起こしただけなら身体は無事であろう」

そう考えてはみる物の、不安感や嫌な予感は、私の心から一向に離れない。
それどころか、その思いは増すばかりでありであった。

その間、数分か、それとも数十分か…。
半ば錯乱状態であったこの時の記憶は、正直定かではない。
しかし間違いなく覚えている事。
それは、再び電話のベルが鳴り、その主は、やはり母親であった事。
そして、私以上に取り乱した母の声…。





電話の二日前の、母親と弟とのやり取りがあったそうだ。

父親は病気により既に他界している我が家にとって、妹の同棲生活が始まると言う事は、実家に残されるのは母と弟だけとなる。
若さを理由に定職にもつかず、気ままな生活を過ごしてきた弟だが、妹の同棲の話が持ちあがった付近より、心を入れ替える決心がついたのか、とりあえず安定した職についた事は私も話には聞いていた。

そして同棲生活が始まる前々日、即ち来て欲しくなかった結婚式の二日前。
母親と弟は、これから始まる二人だけの実家生活において

「頑張っていこう」

と話し合ったとは母親の後日談で聞かされた。
徐々に淋しくなって行く実家の中で、それでも前向きな姿勢を見せる弟に、若干なれど成長した姿を見た気がする。

母親曰く

「この日が出発点だったのに」

しかしその出発点は、希望とは裏腹の、意外な最後を二日後に迎えたのであった。





二度目の母の電話。
取り乱しながらも詳細を私に伝える。とにかく危険な状態だと…。

電柱に激突し車は大破。
弟は意識不明の重体。
救急車で川崎某所の病院へ向かうも、依然意識は戻らず…。

内容を聞き、尋常ではない事は容易に想像がついた。
しかし不思議なもので、それでも最悪の事態は考えようともしない。
不安感は依然私を支配しているが、それでも「最悪の事態」は認めようとしない。
客観的にみれば、もっと冷静な目で認識できたのだろうが、そんな事はその時の私には到底出来ない注文である。

母親を車に乗せ、弟の待つ病院へ向かう道中、警察と野次馬、そして数台のパトカーに囲まれ、一台の大破した車を見付ける。
見慣れた紺色のランクルであるが、原型は車の後部以外留めていない。
前方は全く別の姿へと変貌しているが、それは紛れも無く弟の車であった。

なかなか過酷な試練を神は与えてくれる。
弟と病院での対面時に、ある種の覚悟を私と母親に与えてくれた。
無言のまま病院へ到着し、案内されるまま弟が眠る病室へ通される。
この時点で不安感などがあったかどうか、記憶を辿ってみても思い出せない。
その場で目にした事実だけを強く記憶している。





弟はベッドで眠っていた。
布団より外に出ていた顔や手には、傷らしい物は見当たらない。
しかし、血の通う生き生きした血色や生命感が、その見える部分をいくら探しても見つからなかった。
弟でありながら、私より体格の良かった弟の手は、その体格通り私のそれより数段大きい。

握る…冷たい…強く握る…反応さえしない…

思えばこの手にも多くの思い出がある。

「腕相撲しようぜ」

などと言い、よく力比べした物である。
兄弟喧嘩の末、殴られたのもこの手だった。
私の結婚を祝福し、お互い介抱しあったのも思えばこの手…。
躍動的であったこの手…ごつく不器用なこの手…。

しかし今、目の前に出されたその手は、同じ物でありながら、全く異質の死人の様な手でしかなかった。




ふざけてるぜバカヤロウ…
きさまなにふざけたことやってんだよ!
うそねなんてしてるんじゃねぇよ!
おきろばかやろう!




頭の中で、こんな言葉ばかり繰り返していた。
私の願いなんて物は全く通用しない事を裏付ける様に、医師より最後の宣告を告げられ、その後からは神への頼み事を一切行なわない事を誓った。





決められた形式をなぞるため、そのための仕度を行なう。
自宅に電話し、嫁に「結婚式は辞退する様、連絡してくれ」と伝え、そして

「黒いネクタイ」

を用意させた。
私が昨日「黒が好み」と言っていた念願のネクタイである。
嫁は義兄に心配させぬ様、結婚式へ出席させる事にし、私は自宅で一人で黒いスーツと黒い靴下、黒いベルトと…「黒いネクタイ」を持参し、今は無き実家へ向かった。
結婚式から一転して葬式の為に…。

その車中、

「悪い冗談は言う物じゃない…」

そればかりを口走る。
何度も何度も口走る。
その口走った分だけ…前方の視界は雨に打たれたガラスの向こうに見える景色の様に、見る物全てが歪んで見えた。


悪い冗談は言う物じゃない…

悪い冗談は言う物じゃない…

悪い冗談は言う物じゃない…

悪い冗談は言う物じゃない…

悪い冗談は言う物じゃない…



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