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□この話は「清葉様」が、
2005年9月10日に投稿して下さった作品であります。
■投稿作品第百六十四話
約束

管理人のTokyo-Powerさま、こんにちは。
先日、恐怖体験談の「読者の体験」に投稿させていただいた清葉です。
HPに載せて下さって、ありがとうございました。
こちらのHPには、ひやかしや面白半分ではない、管理人さんのスタンスが感じられて、とても好きなHPです。これからも、よろしくお願いします。

(余談になってしまいますが、実は投稿させていただいた「霊道」には、後日譚があります。泊った宿の格子先で翌朝、写真を撮ったんです。その後、画像をPCに取り込んでみたら、横の小窓に小さな子どもの手や女性の顔が4人ほど写り込んでいました。でも嫌な感じではないので、そのまま持っています。)



さて、今日は悲しい話を一つします。

わたしは中学から大学まで、ずっと靖国神社の傍の私立女子校へ通っていたのですが、秋になると思い出す話があります。

学校の場所が「番町」だっただけに、その界隈の江戸時代からの怪談はよく聞いていました。
でも、友達の間でよく聞くのは

「昨日、靖国神社の境内で、血だらけの兵隊さんを見たよ」

とか、

「課外学習の時間に靖国に行ったら、木の影に立ってた。かわいそうに、やけどしてたの」

とか。そういう話は、しょっちゅうでした。

高校時代のある夕方、部活も終わっての帰り道。
わたしは駅へ急ごうと、友達と近道をしていました。
靖国神社を通り抜けるコースです。まだ夕日は明るく残っていました。
境内の銀杏の葉が金色に色づいて、散歩するにはちょうどいいような夕方でした。

通る時、いつも息苦しく感じる日暮れ以後でも、「昭和館」「遊就館」という資料館の近くでもなかったので、安心して友達とおしゃべりして歩いていました。

すると突然、背後から「すみません!」と男の人の声がしました。
振り返ると、そこには軍服を着た若い軍人さんがにっこり笑っているのです。


「は…い」


わたしは呆気にとられつつも、噂は本当だったんだ…と頭のどこかで思っていました。
私達が茫然としているのを見て、その兵隊さんは安心させるかのように、さらにニコッと笑って、


「すみません。友達と約束をしているんですが、いま何時でしょうか?」


「あ…あの…、○時です。」


慌てて答える私に、


「そう。ありがとう!」


兵隊さんはまた微笑むと、くるっと背を向けて、銀杏の木の下に消えていきました。


「…見た?」

「見た!本当だったんだね。」


しばらく口も利けなかった私達は、靖国を抜けてから、やっと口を開きました。

「ね、今の兵隊さん、背中に弾の跡があった…。」

「うん。こめかみにも跡があった…。」


弾に当たると、服の周りが焦げるんだね、などと取りとめのない話をしながら、私達はなんだか悲しくてたまりませんでした。

今にして思えば、あの軍服は第2次世界大戦中の陸軍のもの。
あの兵隊さんは、何十年もあそこで友人を待っているのでしょうか?
彼が何故、私たちに声を掛けたのかはわかりません。私たちの制服は戦前・戦中とは違うものですが、見慣れた女学生の制服に親しみを覚えたのかもしれませんし、“友達”と話す姿が楽しそうに見えたからかも知れません。

約束の日時が決めてあったのか、それとも痺れを切らして私達に時間を訊いたのか。
それもわかりません。
その「友達」は戦死せずに帰国できたから、“あの場所”では会えなかったのか。
あるいは、“生き残ってしまったという負い目”があって、約束の場所へ一度も来られなかったのか…。

「(戦死したら)靖国で会おう」と当時、彼らの多くが口にしていたとは聞いています。
でも、何十年も約束の場所で友を待ち続けている、あの兵隊さんの姿を見てから、それを「ありえない話」とは言えない自分がいます。

今年は戦後60年ですが、政治的なことは抜きにして、わたしは靖国神社というと、あの兵隊さんを思い出します。
明るい笑顔やはきはきした口調を思い出す度に、ただ純粋に悲しくなります。

今でも時々、思うのです。
あの兵隊さんは、友との約束を守るために、いまでも銀杏の木の下で待ち続けているのだろうか。友達をずっと待ちながら、彼は何を思っているのだろうか、と…。

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