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■「曳橋」から離れ「古道」を歩きつつ、とりあえずスタート地点である八王子城跡の入口広場まで目指す事にしました。 |
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■うむむ…この“古道”に関しては、特に何も書く事はないかな?(汗) 前回書いた様に、戦国時代の当時は、もっと下流まで道が続いていたらしいですが、その全ての調査は出来ず、途中までの調査及び再現となっております。 道はなかなかしっかりとしており、ごく普通に難なく歩けます。 深夜にくる事など絶対にオススメしませんが、もし来るならこのルートが良いかな…と。(笑) 下と言うか横を走る「林道」よりも安全とは思います。 もっとも周囲には明かりなどは皆無であり、それを考えると決して難なく歩けるとは言えませんがね。(汗) 暗くなってから訪れる場合には相当な照明器具が必要不可欠となってくるでしょう。 |
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■“古道”であります。 特にデコボコなどなく、安心して歩けます。 この探索で一番ラクであった道ですね。 |
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■そろそろネタも尽きて来たので、落城の日にちでも記載しておきましょう。 八王子城の落城した日にちは「天正18(1590年)年6月23日」であり、それから400年後の平成2年(1990年)、八王子市の開市400年を迎えた企画として、この八王子城跡の整備が行なわれたと言います。 それから10年以上経過したのだが、その後の整備は…どうやら行なわれていない御様子。 何でも市の予算が全く下りないとか(汗) 「もうちょっと国も考えてくれれば…」とは管理のおじさんの嘆きであります。 もっとも保存状況の良い戦国時代の城であり、国の貴重な文化的財産でありますから安易に整備が出来るモノでもないのでしょうが。 また、調査の方は年々進められているらしいのだが、それがボランティアなのか予算が下りての調査なのか、私には分かりません。(汗) 何にしても、また冬には積極的に調査が行なわれると思います。 私が所持する某心霊スポットの本にも登場し、また今回の調査で頂いた“手書きの概要図”の製作者、「■さん」(当然伏せさせて頂きます)が調査を進めていくのでしょう。 是非頑張って頂きたく思います。 とチンタラと言葉を並べましたが、いよいよ「古道」の写真を紹介して行きます!! |
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■古道をひたすら進む事2〜300mかな? 曲がりくねりながら下って行き、その先には以前登場した「仮橋」の姿が見えてきます。 |
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■来た道を降り返れば小さな橋も見えます。 名前は…特につけられていないのでしょうね。 |
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■「仮橋」の上から「古道」を撮影。 本来なら「古道」もあの先まだまだ続くらしいのですが、調査の関係上、ここまでの再現となっております。 で、私はと言えば…この写真を撮影後、時間の都合上慌てて入口の方へ向かうのでした! |
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■「その1」での写真とダブってしまうのですが、次はあの橋を渡り、いよいよ八王子城の山へ向かおうと思います。 | ![]() |
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■と言う事で、その橋の目の前にきました! これから先はとてもキツい勾配の道であり、正に登山と言えます。 甘く見ていると悲惨な目にあいます。 実は私も甘く見ていた一人であり、その結果なかなか素晴らしい体験をしてしまうのでした。(汗) |
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■と言う事で今回はここまでです。 次回より、いよいよ険しい山道を登る事になります。 上でも書きましたが正直、甘く考えていた部分が多く、山頂についた時などは目の前が“チカチカ”してくるなどと、実に寿命が縮まる思いでありました。(汗) その辺の“緊迫感”が上手く書ければいいな…と思っております! と言う事で、今回はこの辺で! では、次回も是非御覧になって下さい♪ 次へつづく |
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