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■第三十六話
正夢への抵抗

 近年になり、度々こんな夢を見るようになった。

 その夢の舞台は神社。それも御社も巨大で立派な神社ではなく、人も寄らなくなってしまったかの様な、寂れた何処となく悲しい雰囲気の神社であった。

 他に特徴的なのは参道である。鳥居から続く参道は、普通であれば真っ直ぐ延びているのだろうが、夢の神社は何故か右に曲がっているという不思議な神社であった。

 先の通り、御社は小さく、また寂れているのではあるが、古びている訳でもなく真新しい訳でもない、何とも例え様のない普通の御社である。
 その御社の大きさは小さ目といった感じだ。例えて言うなら、埼玉の桜木神社程度だろうか。
 その桜木神社での体験が未だに尾を引いているのだろうか、今でもよく夢で上記の様な神社が出てくる。もちろん実在するはずのない、私の夢の中でのみの存在の神社であった。

 その様に、ついこの前までは夢でみた場所でしかなかった神社が、先日の福島取材において、それと非常によく似た神社を見つけたのだ。私にとっては、福島は当然ながら初めて訪れた場所であり、その神社も決して取材予定として事前に知っていた場所ではないし、それにそもそも心霊スポットでははない。

「あれ?この神社って見たことがある!!」

といった具合で、通り掛かりにその神社に反応した感じであり、その時は夢で見た神社だとも気付かなかった。何か他の情報で知ったのかとも思ったし、いわゆる“心霊ビデオ”的な映像で知った現場なのかとも思った。

「何処で見たんだっけかな〜?」

と悩み悩んだ挙句、

「あ!あの夢に出てきた神社だ!!」

と分かったのである。

 また、その神社に辿り着くまでの過程が実に不思議であった。カーナビを某心霊スポットにセットし目的地へと向かったのだが、なぜか到着した場所が、その神社なのであった。
 まあ“この手の話”にはよくある出来事に聞こえてしまうかもしれないが、実際にこんな事は起こる物なのだと、つい感心してしまった。

 この経緯を厳密に話すと、まず福島県の某心霊スポットへカーナビをセットしたのだが、向かう道中に妙な違和感を感じ、

「目的地から離れてしまっているのでは?」

と疑問を抱く時があった。事前に地図を見ていたせいもあってか、目的地とは違う方向に進んでいるのではないのかと感じたのである。
そんな違和感に戸惑っていた矢先に、その夢でみたものと同じ様な神社が目に入ったのであった。
 かといって急ブレーキを掛けて神社に降り立った訳ではない。違和感を覚えながらも、なお1〜2分車を進めたのだが、どう考えても違うと思い車を停めた。そして目的地と現在地を照らし合わせ、案の定というか、やはり目的地とは逆を走っていた事に気付かされ、結局Uターンするはめとなった。

 一度通り過ぎながらも、再び夢と似ていると感じた場所に結果として戻るのだから、考え様によっては運命的なものを感じなくもない。

「ならば取材してみよう」

との考えに至ったのは言うまでもなく、その神社に降り立ったという訳である。

 車を停めて撮影を始めると、程なくして境内の隅で老人が屈んでいるのに気が付いた。先ほどまで全く目に入っていなかっただけに、思わず

「どきっ」

としてしまい、なおかつ何ともバツの悪い空気が流れた様にも感じ、撮影するのも何となく気まずい気がした。

 慌ててその場を離れようとも思ったのだが、だからと言ってそそくさと引き返してしまえば、それはそれで老人に妙に思われてしまうだろう。なので気まずさを感じつつも、そのまま何食わぬ顔をして撮影を続けることにした。

 その老人は、境内の隅で屈みながら草を刈っている様に見受けられた。手には鎌らしき物を握り、その手を動かす様は、何処となく寂しげな雰囲気と、それとは別に何故か恐ろしげな雰囲気を感じた。その理由はもちろん分からないのだが、まさかの老人の存在に驚いのが理由の1つなのだろう。
 またひょっとすると、私とその老人以外は誰もいない空間で、私の事に見向きもせずにあくせくと鎌を振るその様子に、独特の恐怖を覚えたのかもしれない…。

 そんな心境でありながら、それを老人に悟られてしまうのも何なので、さほど気にも留めていない雰囲気を作りながら神社の撮影を続けた。

 しかし老人の存在を意識してしまうのもまた事実。周辺を撮影しつつ、再び老人の方を見ると、


その姿がない…。


撮影してから振り返るまでに要した時間は、それこそ十数秒ほどでしかない。
それなのに老人の姿は消えている。
そう、それこそ

“消えた”

という表現がまさに当てはまる様に、老人はこの場から忽然といなくなってしまったのであった…。

「そんなハズないぞ…」

そう思ったのは当然の事であり、慌てて周辺に目を配るも、案の定というかなんというか、やはり老人は消えてしまっている。

 如何にも老人といった風貌の老人が、そんな瞬間的に移動できる程の瞬発力を持ち合わせているとは到底思えない。それでも、その十数秒のうちに消ようとするならば、それ相応の神憑り的なチカラを持ち合わせていなければ不可能であると私は思うのだが…。

 はたまた、神憑り的なものではなく、もっと違う物理学を度外視した様な存在、要するに霊的な存在であれば、忽然と姿を消すことは可能なのだろうと思える。

 それとも、実は最初からその老人は存在せず“まやかし”を作り出す別の“何か”が、通り掛かった私を嘲笑うかの様に老人の幻影を見せ付けていたのだろうか…。

 現地で撮影した写真を確認しても、その老人は残念ながら姿を見る事が出来なかった。もっとも、現地入りして早々に消えてしまったので、写真に偶然入っている可能性は低いのは分かっていた。期待薄なのは承知なのだが、それでももし撮影した数枚の写真の中に老人の姿が写っていたのならば、色々な意味で納得できただろう。しかし、残念ながらその姿は見られなかった…。

 まだ明るい時間でありながらも、いま味わった体験に恐怖を感じ、足早にその神社を後にした。そのまま岐路に着きたい気もしたのだが、場所がそう簡単に訪れる事の出来ない福島である。意を決し、本来の目的地へ車を走らせたのであった。

 因みにだが、その次の目的地も何の因果か湖の畔の神社であった。2014年現在、未だ帰還困難区域付近のそこには、当然ながら人間の姿は全く存在しない。
 それだけでも涼しいモノを感じるのだが、なおかつ先ほどの体験が相まって、異様なまでの怖さを感じながらの取材となった…。

 その後、自宅に帰ってからネットでこの神社について霊的なアプローチで検索してみた。しかし、やはり心霊スポットとして紹介されてはおらず、また小規模な神社だからだろうか、その神社自体の情報も見当たらなかった。似た様な体験談があれば面白かったのだが…。

 それにしても、今になって思い起こせば、何とも不気味な老人であった。周囲を見向きもせず、一心不乱に地面に鎌を振り乱す様は、視線が合えば、その鎌を私に向かって投げてきそうな勢いであったと思うのは考え過ぎだろうか…。

 最後となるのだが、私が見た神社の夢では、最後に必ず交通事故を起こすといった感じのオチで目が覚めるのである。まさに正夢にならぬ様、福島から東京までの道中に、並々ならぬ神経を注いだのは言うまでもない。そのせいあってか、何とか事故もなく無事に家路に着く事が出来た。


 暫くの時が過ぎ、神社の夢の呪縛から解放されたのであれば安心だ。

 しかし、実は未だに続いていたとしたならば…。

 もう少し身の安全に気を配った方が良さそうに、今さらながら思うのである。

 正夢にならぬ様、少しでも抵抗せねば…。




■今回の体験談における神社の写真。
鳥居から右へ曲がる格好で参道が続き、その先に御社がある。
なお不気味な老人は、この写真から見ると左側約2〜3m程の場所にいた。

心霊スポットとして名を馳せている訳でもないので、場所などの詳細は掲載しない事にした。

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