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■第三十一話
話し声:その4

 木々を抜けた先には、実に神秘的な湖が広がっていた。外気と水温との温度差からであろうか、湖面には薄らと水蒸気が立ち込め、それが素晴らしい自然の演出を作り出していたように思う。

「うわー何だか凄いなぁ…」

目の前の美しい景色に、目的地に辿り着けた喜びも合わさり、何ともいえぬ喜びに心は支配されたように記憶している。独特の達成感とでもいうのだろうか。

 喜びに支配された私は、その気持ちのまま現地撮影を開始した。周囲には人の姿はなく、まさに「この美しさを独り占め」といった状態であった。人目が全くないのをいいことに、普段はまず使わないカメラのタイマー機能を使い、自分自身の姿を写したりもした。その写真は、サイトのプロフィールにも使われているので、目にした方もいるかもしれない。

 湖畔を歩けば、そこには人間の足跡とともに、獣の足跡もくっきりと刻まれている。ヒヅメを思わせる足跡から察するに、シカか何かの足跡であろうか。もし、そのような動物に遭遇したらと思うと若干緊張もするのだが、それでも当時の心境は喜びに完全に支配され浮足立っていたように思える。

 目の前の自然を、まるで独り占めしたかのような感覚に浮足立ちながら、サイト用の写真を撮影する。池の周囲の写真をある程度撮影し、次に向かったのが展望台であった。現地では有難いことに、八丁池を見下ろせる展望台が設置されている。被写体を遠目から撮影できるロケーションは実に有難いことであり、そういったものが存在するのならば、それは活用しない手はない。まあそんな大袈裟な考えは当時はなく、ただ単に「展望台に行こう」と安易に向かったのだが。

 展望台に上がっての景色は格別であった。当時の天候は、快晴とまではいかないのだが、雲の間から青空が覗くまずまずの天候であった。また、標高が高いせいか、雲の動きが早く、また山肌を這う様に流れてくる雲が実に神秘的であった。

 上から見下ろした八丁池の姿も、間近で見るものとは違った美しさを感じ、実に素晴らしい姿であった。こんな素晴らしい自然を独り占めとは、何とも贅沢な一時ではなかろうか。

「いやー…たまらないなぁ…」

4月の冷たい風に晒された展望台の上で、ついついそんな言葉を発したのであった。

 先ほどより再三“独り占め”とか“人の姿はなく”と書いたのだが、よくよく考えてみると、山登りの最中に女性の声が聞こえていたはずだ。即ち、現地には私以外にも誰かの存在があったはずである。展望台に上って落ち着いたあたりには、当時の私もその事実に気付いたのであった。

「あれ?あの女性の姿は…」

そんな疑問を抱きながら、周囲をうろうろしつつ人の姿を探してみた。しかし、女性はおろか人の姿、獣の姿すらない。いくら探しても見当たらないのである。

「これはおかしいぞ…」

それもそのはずだ。あの山道は恐らく1本道であり、その先は八丁池へ続いている。要するに目的地は明確であり、その地へ辿り着いた人間が足早に去っていくのはまずないだろう。時刻は午後3時弱といったところで、また慌てて下山するような時間でもない。

 そんな時に脳裏を過るのが、霊的な現地情報だ。「白い着物を着た女性の霊が湖面を歩く姿が目撃される」とは私のサイトで紹介されている文章なのだが、それを思い出してから見た八丁池の姿は、何とも不気味な姿へと変貌していた。それはもちろん、私の心理作用によりそう感じただけであり、実際には先ほどと何ら変わりない姿なのであろう。しかし、角度を変えて見ると印象も変わってしまう典型…とでもいうのだろうか、実に恐ろしく感じられたのであった。

 そんな時に、誰もいないという状況は実に心細いものだ。つい数十分前までは“贅沢”だなんて思っていたのに、今や不安感や恐怖感に完全に支配されている自分がいた。まだまだ明るい時間だというのに、深夜の心霊スポットに立たされているかのような心境であった…とは少々大袈裟かもしれないが、それに近いものがあった様に覚えている。

「頼むから白い着物を着た女性が出てくるなよぉ〜…」

そんなことを願いながら、また別に現存する女性の姿を探しながら、池の周りをくまなく調べた。しかし、やはり女性の姿は霊も含め見当たらない。霊に遭遇しないのは有難いのだが、実際の声の主と思わしき女性が見当たらないのは考えものだ。いてほしいような、いてほしくないような…そんな複雑な心境のまま、最終的に八丁池を去ったのであった。
 八丁池と女性の霊という現地情報を思うと、どうしても関連付けたくなるのが「天城山心中事件」ではなかろうか。1957年に起きた、許されぬ恋の末の悲しい事件なのだが、「愛新覚羅慧生」というキーワードを書いておけば、ある程度は調べられるだろうと思う。未だ謎の多い事件であり、実は一方的な恋の末の無理心中であったとの憶測もあるそうだ。

 その事件を踏まえたところで、その事件現場と私の歩いた道とでは、距離が若干離れている。また八丁池自体からも若干離れている。なので、現地の霊と事件を結び付けるのは、さすがに無理があると思う。ここから先は、どう解釈するか、はたまた霊自体に問いかける他ない。もちろん、私は霊に直接問いかける術は持ち合わせてはいない。なので、あの声が事件の被害者だと想定して、あの声を再び思い起こした。

 実に楽しそうな、何とも幸せに満ちたかのような、あの笑いまじりの声…。

それを、前述した事件と組み合わせると、無理心中であったとは思えにくい。やはり、実らぬ恋愛の末に、別の世界において幸せになったのだと解釈してしまうのである。

 しかしながら、実際にはあの声の主は、いくら想定したとて未だに分からないままでしかない。現実の女性の声であったのか、はたまた霊の声であったのか。実は野鳥の鳴き声であったという“おち”がついたのかも分からない。しかし私の脳裏には、あの笑いまじりの楽しそうな女性の声が、未だに離れないでいる…。




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