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■第二十七話
よく似た彼

注:この作品は当サイトのメルマガ「路地裏通信」で公開したものです

■その1:中学3年になってから…


中学3年の夏休み。
当時、英語を苦手科目としていた私は、同じく英語を不得意としていた近所の同級生3人と英語塾に通っていた。

週に3日ほど通っていたのだが、塾に行く度に“単語テスト”が待ち受けており、英語塾の時間が近づく度に気が滅入っていたのも、今となっては懐かしい。
テストで悪い点数をとってしまうのも“癪”なので、時には1人で、時には友人の自宅で単語を懸命に暗記していたのも、当時こそ“苦痛”以外の何物でもなかったのだが、時を経た今では良き思い出と、すっかり様変わりしている。

今回の話は、そんな中学生活最後の夏休みの一コマ。
英語塾に向かう前に私のみに降り注いだ“事故”と、その事故の際に何所からともなく現れた“彼”のこと。
私とよく似た“彼”のことを書こうと思う…。





話は前後するのだが、中学3年といえば、大きなイベントとして「修学旅行」がある。
行き先は、月並みと言えば月並みの「京都・奈良」であり、奈良の大仏様の“巨大さ”に、単純に感動したことを、強烈に記憶している。

しかし残念なことに、大仏様を除いた、その他の京都・奈良らしい思い出は、私の心に残ってはいない。
その他に記憶していることと言えば、行きの新幹線「こだま号」で、隣の車両に“みのもんた様”が、たまたま同乗しており話題になったことや、旅館で友人と“スキヤキ”をつつきながらバカ話に華を咲かせたこと。
また、当時は生意気にも彼女おり、その娘と他愛のない話を深夜遅くまで話していたことなどであり、いま思えば

「何のために京都・奈良に訪れたのやら」

と、疑問を抱かずにいられない程の記憶しか残っていない。
かといって、決して“つまらない記憶”となっている訳ではなく、どれもこれも素晴らしい記憶として、私の脳裏に焼きついている。

現地を移動するバスの車中も、良い思い出だ。
隣には彼女を生意気にも従え、今のカミサンにこんな話をしようものなら即座に“軽蔑の眼差し”を贈られてしまうでろうが、当時はそんなことなど知る由もなく、“青臭い青春”を、心行くまま満喫していた。

その個人的にバラ色な車中で、クラスの友人が突然大声で騒ぎ始めた。
そして友人のその声に反応し、バスに同乗するクラスメイトの大半がガヤガヤと騒ぎ始めた。
もちろん私は、彼女との会話に勤しんでいる最中であり“外野”の騒ぎ声などを聞く余裕なんてなかったのだが、どうも視線が私の方に集まっているのが少々気になっていた。
たまらず私が、

「な…なんだよ」

と、彼らに問うと、こんな妙な返答が帰ってきた。


「隣を走っていたバスのなかに、オマエにそっくりなヤツがいたんだよ」


…やれやれ…。
わざわざ西日本もはで足を運び、何を見るかと思えば私の“そっくりサン”とは怖れ入谷の鬼子母神である。
実際に当時の私も、そのコメントを聞いたときは


「…ふ〜ん…」


といった冷めたリアクションを返し、再び彼女との語らいに戻っていった。
因みに私は、残念なことにその“そっくりサン”を見ることは出来なかった。
もちろん、今となっては残念と思うだけであり、当時は「残念!!」だなんて嘆くことは全くなかったのだが。

そして何事もなかったかのように修学旅行を楽しみ、沢山の思い出と共に東京に戻り終えたのだが…
実はあの時の“そっくりサン”の出現には、胸に引っ掛かるものが多少なりともあった。
と言うのも、中学3年に入ってからと言うもの、友人などから時折


「オマエの“そっくりサン”を見た」


「オマエ、このまえ町田駅に居なかった?」


「オマエ…髪の毛切ってないよな?」


といった事を何度か言われていたのである。


私は、もちろん“そっくりサン”の存在など知らないし、当然マネされるほどの有名人でないのは言うまでもない。
当時から長髪が好みであった私は、そう簡単に散髪に行く事もないし友人にいわれた日時に、小田急線町田駅にいだ事実などなかった。

そんな事を中学3年になってから頻繁に言われるようになり、非常に気にはなっていたのだが、それでも

世の中には自分と似ている人間が3人いる

とは当時でも耳にしており、


「たまたま町田に私と似ている人がいるんだな」


といった程度にしか思っていなかった。
それに考えてもみれば、鏡に映る私の顔は見ようによっては

何所にでもいそうな顔

とも言えなくもなく、場合によっては似ている人が3人以上なのかな…なんてことも思っていた。

かといって、決して気持ちの良いものではない。
そんな事を言われるようになってからは、心のどこかでどうも気になっているような心境であり、何をするにも合間には、


なんで急に“そっくりサン”が出現するようになったのかな…


などと考える事が多くなったのは事実であった。
しかし悩んだとしても、その答えなんて出るはずもなく、何時の間にか、その悩みも時間が解決してくれたのだが…。
そんな矢先に起きたのが、あの修学旅行での一コマであった。

その時の私の反応は、先にも書いたとおり


「…ふ〜ん…」


と、いかにも詰まらなそうなリアクションで対応したのだが、心の底では、


こんな遠く離れた場所にも、オレの“そっくりサン”がいるのかよ…


といった具合で、妙な気分に陥っていた。
しかしその妙な気分も、結局は時間と共にかき消され、修学旅行から帰ってきた頃には、すっかり頭から離れていた。

そして時は過ぎ、中学生活最後の夏休みを迎えることとなった…。





余談となってしまうのだが、


ドッペルケンガー(生霊)


と出会うと、あまり良い結果が出ないということを後に知った。

イギリスのエリザベス女王は、自分の生霊と出会い、その生霊から自分の死期を教えられたと言う話を聞いたことがある。

作曲家モーツァルトは、魂を鎮める楽曲「鎮魂曲」の依頼を受け、その曲の完成と共に彼は点に召されたのだが、話によれば、この「鎮魂曲」を依頼したのは他でもないモーツァルト自身のドッペルケンガーであったという話を、嘘か誠か誰だかが語っていたのを記憶している。

もっとも、このような話が事実なのか作り話なのかは、正直なところ分からない。

ドッペルケンガー(生霊)=死

という考え方自体が、間違っているのかもしれない。
そして私が中学3年になり頻繁に目撃された“そっくりサン”が、ドッペルケンガー(生霊)であったかどうかは定かではないし、そういった考え方自体が、少々大袈裟なのかもしれない。
もし、仮にそれがドッペルケンガー(生霊)であったとしても、そもそも実際に私の前に、“彼”が現れた訳ではない。



あの日が訪れるまでは…


あの“事故”が起きるときまでは…



その2へつづく…

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