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□この話は「ムラサキ様」が、
2002年11月23日に投稿して下さった作品であります。
■投稿作品第五十七話
部室でのできごと

私が、とある東京都下の女子中に通学していた頃、今から15年ほど前の話です。

私の属していたクラブの部室は、数十年前に建てられた木造の講堂の小部屋でした。
床は歩くとギシギシときしり、雑なつくりの木の壁は隣室からの光が漏れ、天井からは暗い裸電球がぶらさがっているようなお粗末な部室で、昨今の学生からは想像もつかないでしょうが、我々は自分達の楽園として、いつも放課後はその3畳ばかりの部室にひきこもっていたものです。

今、「我々」と書きましたが、当時我々の部活は新入部員がなく、先輩が1人抜ければ人数不足で「同好会」の扱いとなり、学校からの予算が大幅に減るという危機的状況にありました。
そんな中、数少ない部員の私たちは、部室を掃除して同級生や下級生を招き、我々の部活になじんでもらおうという計画を立てたのです。

私達の部活は新聞部でした。何十年も前に先輩方が発行した新聞、さばききれずに残った新聞で散らかり放題の部室を片付けはじめたのですが、気に入らないことに、部員ではない誰かが私達の部室に、教科書などの私物を置いていることがわかってきたのです。

私物の特徴から、それは3学年上の先輩の誰かの物だということがわかったので、私達は私物をまとめて付属高校の職員室に届けに行きました。
高校の先生は、その私物を見て一瞬声を呑んだのですが、届けてくれて有難うと言って私物を受け取ってくれたのでした。

勧誘を続けてもなかなか部員が入ってくれません。
そうこうするうちに、また同じ人が私物を置いていることがわかりました。
今度は体育着と運動靴でした。
名前が書いてありましたから、私達は名簿を見て、その先輩に直接返しに行こうと考えました。

しかし名簿を見てもその名字に該当する学生はいません。
転校したのなら置きにくるはずもない。
私達は、家庭の事情などで、その先輩の名字が変わってしまって、名簿では該当する学生が居ないのだろうと判断し、再度高校の職員室に届けに行きました。
高校の先生が絶句する意味も解らず、私達は

「今後置かないように先生からおっしゃって下さい」

とお願いし、私物を置くなんて許せないわと言い合いながら戻ったのでした。

結果から言いますと、私物は、三たび部室に置かれたのです。
私達の憤まんも抑えられなくなったので、私達は高校の先生に、直接その先輩に掛け合いに行くと言いました。
すると先生は、苦渋の表情で、

「あまり言いたくはないんだが、その生徒はもう、いないのだよ。今後私物が出て来ても、君たちで始末してしまって構わないよ」

とおっしゃったのでした。

「きっといなくなった生徒の友だちが預かっていたものを、その友だちが部室にでも置きに来ているのではないかな」

とおっしゃった先生の言葉を素直に受け入れて、私達は相変わらず勧誘を続けていました。
興味を持つ生徒が少しずつ増え、数日に一度は部室をのぞきに、ぽつりぽつりと生徒が来るようになりました。

奇妙なことに、部室に来る生徒は、決まって部室に入って数メートルの位置で前のめりに転びそうになるのです。
初めは気付かなかったのですが、何人も何人もが同じように前のめりになることを不思議に思った私が聞いてみると、

「何だか引きずり込まれるように前にのめってしまった」

と、みな同じように答えました。
部室に唯一ある小さな窓--そこからは外の通りが見えるのですが、その窓が正面になるあたりで皆、決まったようにコケるのでした。
そして皆、入部しないで帰って行ってしまうのです。
あの部室は何だか気味が悪いという噂さえ立ってしまいました。

そんな或る日、休み時間に校内を親友と歩いていた私は、講堂の前を通りかかって、部室に用事を思い出しました。
親友が一緒に部室に来ることを拒んだため、親友には講堂の正面入り口で待っていてもらうこととし、私は講堂入り口から10メートルと離れていない部室に入っていって、探し物をしていました。

ふと救急車のサイレンが聞こえて来ました。
サイレンはどんどん近付いて来ます。
近くの大学付属病院にでもまた誰か搬送するのだろう、今に通り過ぎていくかな、と思っていると、意に反してサイレンは窓の外でぴたりととまりました。
窓からは救急車の赤いランプが見えないけれど。
でも近くに病人なのだわ。
私は用事もそこそこに部室から出て、待っていた親友に

「救急車近かったね」

と言いました。
しかし親友は救急車なんて来ていない、サイレンも聞かなかったと言い、私達は少し言い合いになってしまいました。
私は確かに、絶対に聴いた自信がありましたから、その辺をたまたま歩いていた生徒を数人捕まえて、サイレンを聴かなかったか訊いてまわりました。

サイレンを聴いた者はいなかったのです。
そして、あとから意外な後日談が私の耳に入りました。

依然として不定期に置かれる私物を、いなくなった(転校した、と私達は思っていた)生徒の家に送りたいと私達は高校の先生に言いに行きました。
しかし私達には先生からショッキングな答えが返って来たのです。

「その生徒は学校の前、ちょうど講堂に面しているあの交差点があるでしょう、あの交差点をわたろうとしてトラックに轢かれて死んでしまったのだよ。もう品物を送る先はないんだ.言いたくはなかったんだけれど」

私は不思議に冷静な気持ちでしたが、問わずにはいられずに先生にお聞きしたのです。

「先生。トラックにはどのように轢かれてしまったのでしょうか。」

「ひきこまれるように、…前からひきこまれるようにして、轢かれてしまったそうだが…何か?」

その後しばらくして、その講堂は取り壊しになり、今はりっぱな別の建物が建っています。
部室の話はこれだけです。
私を講堂の入り口で待っていてくれた親友は、大学生のときに急死してしまいました。

長くなりましたが、これで終わりです。
書くだけ蛇足ですが、まったく修飾せずに私の体験したことを、そのまま書いたことを申し添えます。

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