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□この話は「やぶ医者様」が、
2002年4月26日に投稿して下さった作品であります。
■投稿作品第二十六話
呪い

「パラサイト・イブ」という本をご存知だろうか?数年前に話題になったSFである。
その中に、「ミトコンドリア」というものが出てくる。
「パラサイト・イブ」を読んだ人ならばご存知だろうが、「ミトコンドリア」というモノは細胞の中に存在し、母親から子供に受け継がれていく。

これは、そんな「ミトコンドリア」と「呪い」の話である。





その患者さんに初めて会った日、私は外来を担当していた。
その日は、土砂降りにもかかわらず、いつにも増して
患者さんが多かったのを覚えている。

その患者さんは、痩せた、どこかおどおどした若い男性だった。
彼は今まで他の病院にかかっていたが、やはり大学病院で無ければ駄目だと言われ、紹介状を手に、縋るような気持ちでここに来たといった。
彼は、ミトコンドリアに遺伝子的な異常が存在する、現代医学では完治することの出来ない難病だった。


――――うちの家系は、呪われているんです。


いきなり彼はそう切り出した。


――――うちの9代前のご先祖が自分の主君を裏切った時に、その主人が、


「15代先までおまえとその子孫を呪ってやる!!」


と言い残したんだそうです。


私は、とっさに言葉を返せなかった。
彼は真面目だった。前の主治医の紹介状には、

「代々語り伝えられた呪いの話に怯え、被害妄想的になっています。
psycho(精神科)との連携をよろしくお願いします。」とあった。


――――わたしは今、結婚しているんですが、自分の子供にもこの呪いが伝わると思うと子供を作る気がしないのです。どうしても怖いのです。


彼は目は血走り、何かに取り付かれたような有様だった。
しばらく話をしていると、患者本人も妻も、本当は子供が欲しいと願っていることがわたってきた。しかし、彼らは「呪い」の話にがんじがらめになってしまい、身動きが取れなくなっていたのだった。





とりあえず、その日は精神科にも掛かって貰い、原疾患(ミトコンドリアの病気)の治療と並行して遺伝的背景をも調べることにした。
患者から家族歴(家族構成や、同じような病気の親族の有無など)を聞き取っている時に、私は妙なことに気がついた。しかし、患者を前にしてそのことを顔には出せなかった。

次回の診察の予約をして患者が帰った後、いっしょに問診をしていた看護婦と私は顔を見合わせた。


「ねえ先生、今の患者さん・・・」


「――――だよね。おかしいよね」


その後、遺伝病専門医による遺伝子診断にて、
私たちがその日感じた違和感は明らかになった。
ミトコンドリアは、母系遺伝するものである。逆にいえば、たとえ父親がミトコンドリアの病気でも、子供はその病気になることは無い。しかし彼の家系は、父親がミトコンドリアの病気だった。その父の家系とは、彼が初診時に言った「15代まで呪われた家系」だった。彼の母は今も健在である。もちろん、病気は無い。
呪いとは、本当に存在するのだろうか。

診察室で、オドオドと怯え切った、彼の顔が浮かんだ。夫の様子に憔悴しきった、彼の妻の姿が浮かんだ。泣いて彼らに詫びる、彼の母の涙が浮かんだ。
もしここに、彼の先祖に祟ったという怨霊がいたなら、私は首根っこを掴んでどつき倒しただろう。そして心の限りに罵倒しただろう。


「彼らが何をした!!」と。


本当ならば、彼自身の病気も子供に伝わることはあり得ない。しかし、彼の父と彼の例を見ると、私は確かなことは何も言えなくなってしまった。
彼の病気は、幸い進行が遅かった。まだしばらくは普通の生活が送れそうである。しかしいつかは、呪いに怯えながら、病気の進行と戦うことになるだろう。
現代医学は本当に無力で、あり得ない奇跡を心に願っているのは、実は医者自身なのだ。
その後遺伝カウンセリングを続けた彼ら夫婦は、思い切って子供を授かった。可愛い女の子だった。彼女には、病気は遺伝しなかった。私がそのことを告げた時、彼らは泣いていた。


――――後はこの子が無事に幸せになってくれることを願うだけです。


彼らはこれからも、先祖にかかった呪いに怯えて生き続けるのだろうか。
いつか呪いの晴れる日まで。
一刻も早く、その日が来るように・・・。


−−−−っていうか、やっぱり怨霊許せん!!


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