路地裏:戦慄の心霊スポット:茨城県

路地裏:戦慄の心霊スポット:茨城県

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旧月居トンネル ・茨城県久慈郡大子町大字袋田

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トンネル坑口手前の高さ制限の標識と鉄骨、そして信号が印象的なのが、この「旧月居トンネル」だ。茨城県を走る国道461号線の月居山を貫く格好でトンネルはあるのだが、それは「新月居トンネル」である。その新トンネルの上部に、旧道と共に存在しているのが、心霊スポットとして紹介するそれである。

トンネルの長さは約300mといったところだろうか。内部は旧道のトンネルらしく(?)とても狭くて、すれ違いは間違いなく不可能だ。坑口に信号が設けられているのも納得である。霊的な噂といえば、実は確固たる情報が無いのが実情だ。付近にある観光地でもある「袋田の滝」とのセットで、肝試しスポットとして地元で知られているといったのが実情なのだろう。

閉鎖加減など雰囲気はなかなかなで、内部には簡素ながら照明設備もあるので、表現は違うかもしれないが良心的な肝試しスポットだと個人的に思う。

袋田の滝 ・茨城県久慈郡大子町大字袋田

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ここに紹介する「袋田の滝」は、日本の滝百選に選出され、また華厳滝や那智滝とともに、日本三名瀑のひとつにも挙げられる場合もある観光名所である。
基本的に観光名所というのは人の往来が多く賑わう場所であるのは言うまでもない。実際に訪れた際も、平日でありながら昼間は人の姿は非常に多く、とても賑やかなスポットという印象が強い。

しかし、そんな観光スポットも、深夜ともなれば雰囲気は対照的だ。またそれは、日中に賑やかであればあるほどギャップは激しい。そんなギャップに涼を求める人々が、いわゆる“肝試し”的に夜な夜な現地に赴くそうだ。

しかしながら、現地の深夜の雰囲気は確かに恐怖を演じてはいるのだが、これだという霊的な情報はあまりないのが実情だ。なかには「現地のトンネルで霊が出る」という情報もなくはないのだが、それほど明確な情報でもないと感じている。やはり、あくまでも昼間とは正反対の雰囲気を感じる観光スポットなのだと個人的に考えている。

しかしながら、現地には入場時間が設定されており、それ以外の時間に場内に立ち入る事は基本的にNGだ。しかも付近は、観光スポットならではの宿泊施設等が幾つもあるので、それらに対する配慮を最優先にすべきなのは言うまでもない。やはり明るい時間帯に訪れるのが賢明なのであろう。

多良崎城跡 ・茨城県ひたちなか市

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某民放の某番組放映により全国区となった心霊スポットである。多くの霊が城跡付近を漂っているらしく、興味本位で行ってはいけないとは方々から聞かれる。聞かれるのではあるが、例えば「何処其処でこういった霊が出没する」といった具体的な目撃情報はあまり聞かれないような気がする。

ウィキペディアによれば、築城者は常陸大掾吉田太郎広幹の三男である多良崎三郎とされるそうだ。その後に城主が代わり、やがて落城するのだが、その辺もウィキペディアに簡素に紹介されているので、ここに記するのは控え、それを参考にして頂きたい。

この多良崎城跡は、緑地環境保全地域に指定されている。その為、城跡内は草木が生い茂り、日も傾きかけた時間帯には、早々に薄暗く不気味な姿へと変貌していく。また季節によっては、蚊をはじめ、近年ではマダニといった虫にも注意が必要であり、現実的な恐怖も待ち構えている。

おばけ石 ・茨城県守谷市高野

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茨城県守谷市にある、某公民館前の広場に設立された石碑に「霊の姿が浮かび上がっている」といった噂が聞かれるようになった。今から30年ほど前の出来事である。

最初に目撃したのは地元の小学生の女の子だという。それから徐々に騒ぎが広がり、一時は新聞や雑誌、それにTVなどでも取り上げられる程であった。浮かび上がったその姿は、「男女と子供の姿だ」という意見が多いらしいのだが、見る人々により様々な意見が飛び交うとのことであり、なかなかイマジネーションを湧かせてくれる石碑といえそうだ。

その石碑の名称は「成田山不動明王石碑」というらしいのだが、どちらかといえば「守谷のおばけ石」といったようなネーミングの方が、地元では浸透しているようだ。

累ヶ淵 ・茨城県常総市羽生町

・レポート ・動画1 ・動画2 ・動画3

有名な怪談「累ヶ淵」の舞台となった場所。

心霊スポットとして紹介するには微妙な場所と言えなくもない。しかし、陰惨な事件と以降の祟りとも解釈できる出来事などは、現在の心霊スポットにおける噂話と共通するものも多く、それを情報や物語として発信するという事に、こういった心霊スポット的な情報、興味は古来よりあるものなのだと実感できる。

事件内容については、法蔵寺にある解説版が参考になるので、そこから抜粋したものを参照させて頂く。


羽入村の百姓与西衛門の後妻“すぎ”は、夫との不仲を恐れ、その醜く生れついた助(すけ)という連れ子の男子を殺してしまう。その後に生まれた累(るい)は助に生き写しであったため「かさね」と呼ばれた。心優しい娘に成長した累は、旅に病む他国者を助け婿に迎えるが、やがてその醜さゆえにうとまれるよになり、2代目を名乗る婿与西衛門によって鬼怒川で殺害される。その与西衛門には不幸が続き、そして死霊が後妻との間に生まれた娘“きく”にとりつき苦しめたため、飯沼弘経寺にいた祐天上人が法力をもってこれを解脱したという実話に基づく話である。

以上法蔵寺解説版から抜粋


因みにこの事件は、1612年から1672年の60年の間に繰り広げられた出来事とされていて、また物語としては後の150年後あたりから発信され始めたそうだ。今から約200年前といったところだろう。

また「これは物語であり実話ではない」という意見もあるのだが、現在に知られる「眞景累ヶ淵」などは、ここ「累ヶ淵」で起きた実際の事件を基にして作られたとされている。安易に「史実ではない」と決めつけてしまうより、過去の様々な悲しい出来事をイメージし、悲しい気持ちを持ちながら、累たちの墓の前で掌を合わせたいと個人的に思う。

過去に事件があった淵は、実は河川改修工事などにより現在は存在しない。
現地を見れば察するだろうが、現在の鬼怒川の両脇には人工的な堤防が敷かれており、明らかに流れを制御したことが分かる。また、悪霊は最終的に祐天上人が法力をもって解脱したため、その悪霊は現地に存在していないことになる。
なので、もうここは心霊スポットとは呼べないという見方もある。しかし舞台は水場であり、そういった場所には霊的な情報は比較的多い。例えば水難事故が他に比べ多発するとか…。

まだまだ気を抜いて接する訳にはいかないと思えてくるのが、現在の「累ヶ淵」なのである。

姉さん ・茨城県筑波学園都市

現在では完全に補修されてしまい、その様子を確認することは出来ないのだが、ここの団地の1つの外壁に「姉さん」という文字が浮かび上がっていた。

その文字は、壁に亀裂が入ってしまい、それを補修したものなのだが、その偶然に作りだされたクラックが「姉さん」となったわけである。そのような、偶然の賜物であり、決して故意に書かれたものではない文字だから、正直に言えば、何とか「姉さん」に見えるかな…といったところである。しかし、一度「姉さん」と認識してしまうと、いかにも「姉さんだよな」と思えてしまう、不思議な印象を受ける文字であった。

そのような不思議で印象的な文字のせいか、それに見合った噂話が持ち上がるのも妙にうなずける気がする。内容的には、

道路の向こう側に立つ姉の姿を見つけた人物が、「姉さん」と声高らかに、姉の方へ走りだした。その際に運が悪く車と出くわしてしまい、その車に跳ねられてしまい亡くなられてしまった。その時の、声高らかな「姉さん」という言葉が、団地の外壁に悲しくも刻み込まれた。

というものである。また、上記の事故の起きた直後に地震が起き、その際に出来たクラックが「姉さん」になったといった噂もある。

実際のところは、「単に出来てしまったクラックが、たまたま“姉さん”という文字に読めなくもない」といった“偶然の結果”的な事実が、返答として聞こえてきそうな気がしなくもない。いやいや、もしかしたら悲痛な思いとともに「姉さん」という叫びが刻まれながらも、「偶然」という言葉で、時の流れとともに消えていく運命なのか…。

もし、この文字が故人の悲痛な最後の叫びであったと想定したならば、これが時に埋もれてしまうのは実に忍びないことである。そういった意味合いのもと、このページに記録しておこうと思う。

佐白山 ・茨城県笠間市

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佐白山の山頂付近には笠間城跡があり、様々な戦の数だけ、多くの悲しき歴史がそこには眠っている。そのせいか、ここでは戦国時代の武者と思われる霊体の目撃談をはじめ、様々な霊現象が多く聞かれる。

例えば山頂に向かう道の途中に、「笠間トンネル」と呼ばれる短いトンネルがあるのだが、そこで「後方を確認したら武者の姿があった」という報告例は少なくない。また、同トンネルでは「手を繋いだ父親と子供の霊」の目撃談もある。

この佐白山では、トンネル以外でも奇妙な噂が聞かれる場所がいくつか存在する。例えばこの周辺には複数の井戸が存在するのだが、この井戸を覗き込むと神隠しに遭遇するという噂話は、古くから語り継がれているという。また、複数の井戸の全てを発見すると呪われてしまうといった噂話もある。

今では手頃なハイキングコースとして親しまれているが、過去に刻まれた歴史や、それにより流された多くの血が染み付いたこの佐白山に今なお縛られ続ける霊たちは、ふとした時にその姿を見せるのであろう。

大■港付近 ・茨城県北茨城市大■町・磯■町周辺

・情報提供者:破壊神 半蔵様

以前、コンビ二で心霊スポットガイドブックを読んだのですが、そこには「大■港」の方に旅行に行って写真を撮った方がいたそうです。あとで写真を確認すると、全ての写真にあるものが写っていたそうです。この記事が後に本当だったという事が分かったのですが…。

前付き合っていた彼氏が磯■の方に住んでいて、ある時私にこんな話をしてくれました。

彼が小学生くらいのときに、友達と3人で海の方に遊びに行ったとき、一人の友達が、崖で落ちるまねをしてフィルムが余っていたので、写真を撮ったそうです。すぐに現像のため写真屋さんに持って行き、返ってきた写真を見ると1枚足らないのです。彼は不思議に思い、写真屋のおじさんに聞くと、

「良くないものが写っている。」

と言い、写真を見せてくれました。すると、そこに写っていたのは崖の下から伸びる無数の手と、「おかっぱの女の子」が落ちるまねをしている男の子を引っ張ろうとしている場面でした。その写真は結局、写真屋さんが処分したそうです。

そして、最初に書いた記事に写っていたものというのも、やはり「おかっぱの女の子」が写っていたそうです。

大■港の近くに行くときっと必ず心霊写真が撮れることでしょう。その時は、海に引きずりこまれないように気をつけたほうがいいでしょう。

本山の一本杉 ・茨城県日立市宮田町

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日立市宮田町の茨城県道36号線にある杉の木は、道の真ん中にそびえ立つ、ある種独特の雰囲気に、時として霊的な噂話も聞かれたりする。内容としては、この種の情報としてもよく聞かれる

「杉の木を切ろうとした(または切ってしまった)人間に様々な災いが起きる」

といったものである。

情報に、あえて(または切ってしまった)と記載したのには理由がある。何でも、ここの杉の木は、かつては1本ではなく複数存在していたという話なのだが、現在に見られる「一本杉」になってしまった過程、すなわち残りの杉の木が消えてしまった原因に、

「2本ある杉の木の1本を切ってしまったところ災いが起きた」

というのがあるそうだ。もっとも無くなってしまった原因は諸説あるという。不自然に道路に立つ姿を見た人々は、様々なイマジネーションを掻き立てられるのだろう。しかし実のところは、「明治時代の台風により折れてしまい現在に至る」というのが本当のところのようだ。

なお、道路の真ん中に悠然と延びるその条件がまずいのであろう、やはりそこでの事故の情報も聞かれたりする。その辺も“祟り木”として噂される要因の1つなのだろう。しかし、一本杉が、神木として奉られるようになってから、事故が軽減したという話も聞かれ、車を運転する人にとっては「ひと安心」といったところだろうか。

なお、現在の一本杉の樹齢は、推定ではあるが450年というものであり、また日立市指定天然記念物に指定されている。杉の木の寿命として考えれば、まだまだ若い部類になるのかもしれないが、それでも我々では到底及ばない年月を生き抜いた先輩ともいえる。接する機会があった時には、心をもって接するよう努めたいスポットだ。

旧本山トンネル ・茨城県日立市宮田町

・レポート ・動画

付近に点在するスポットと併せ、心霊スポットとして有名であったのが、この「旧本山トンネル」だ。

以前はトンネル内で突如霊が現れ追いかけてくるといった怖い噂や、付近で事故死した者が霊体となり出現するといった情報もあった。しかし、今ではトンネル坑口はコンクリートで塞がれてしまい、内部に入るのは完全に不可能となってしまっている。もはや「かつての心霊スポット」という雰囲気が色濃く出てしまっているのだが、それも時の流れに致し方のない部分である。

なお、その坑口までの道中も、自然のちからに制圧されつつある。要するに、草木により道は塞がってしまっている状況という訳だ。その様は凄まじく、さすがにその先へ足を進める気にはなれなかった。入れない事はないのだろうが、それには様々な対策を練るか、もしくは身に及ぶ霊以前のリスクを覚悟した上で入る事になるだろう。当サイトではそのリスクに対する一切の責任は負わないものとする。

鬼怒砂丘慰霊塔 ・茨城県常総市若宮戸

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栃木県日光市の鬼怒沼を水源とする鬼怒川。温泉地として有名な鬼怒川温泉を経由し、その後に茨城県の守谷市にて利根川に合流するのだが、その途中の茨城県常総市(旧石下町)付近に、ここに紹介する「鬼怒砂丘慰霊塔」は静かに存在する。

ここでは、夜な夜な多くの火の玉が宙を舞う様が目撃されるそうで、その目撃談は今はなき「怨念地図」でも見る事が出来る。また、近年では、上記の火の玉以外に、戦争の犠牲者を想像させる風貌の霊の姿も見られるそうだ。具体的に表記すれば、全身に傷を負っていたり、または腕や足を欠損しているという実に凄惨な姿である。

先に「戦争の犠牲者」と書いたが、この場所は、その犠牲者の魂を鎮めるために建てられたものである。太平洋戦争において、ミャンマー(旧ビルマ)で戦死された方々の魂を鎮めるために作られた慰霊塔なのである。

戦後に生まれた我々では、到底想像もつかない激戦や惨劇の末に亡くなられた方々の無念は計り知れない。また、そんな中を運よく生き延びた方々の、その後の心中も、戦争を知らない我々には想像すら出来ない程に重いものなのだろう。この慰霊塔は、そんな生還者の1人である方が、私財を投じて1989年に設立したそうだ。

唐突に火の玉が舞う様や、例えば片腕のない霊の姿を目撃すれば確かに怖い。しかし、そういった姿になってしまった過程を知れば、恐怖感がもう少し違ったものに感じられるのではないだろうか。いや、それ以上に、今ある平和は、こういった悲しさの延長にあるのだと思えてこないだろうか…。

個人的な思いなのではあるが、そんな事をつい考えてしまうのが、この鬼怒砂丘慰霊塔なのである。

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