路地裏:戦慄の心霊スポット:愛知県

路地裏:戦慄の心霊スポット:愛知県

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旧本坂トンネル ・愛知県豊橋市~静岡県浜松市

・レポート ・動画 ・お客様の声

大まかに「着物姿の女性の霊が出る」といった情報で有名なのが、愛知県と静岡県の境にある「旧本坂トンネル」である。

老若男女と出現する霊は疎らではあるのだが、女性という部分だけは共通する。それはこのトンネルのある道が「姫街道」と言う名であるからであろう。一般的に姫街道とは、女性が好んで使う道を指すのだが、その好まれた理由は、その場所により様々である。例えば、かつて関所が設けられていた時代、女性が関所を通過するのは非常に難しかった。そこで関所を避ける道が作られたと言うものがある。また、本道に比べ遠回りではあるのだが、安全な道である為に女性に好まれたといったものもあったりと様々だ。

この旧本坂トンネルにおける姫街道は、どうやら関所を避ける為に使われた道であるらしい。その道はなかなか険しい峠越えであり、道中で命を落とした女性も存在したと言われている。それらの霊が、姫街道のある本坂峠の現在における象徴的な場所「旧本坂トンネル」に現れるそうだ。

赤ん坊を抱いた女性や老婆、また際立って怖い情報として「逆さ女」と呼ばれる、トンネルの天井から逆様になった霊が現れるらしい。正に伊藤潤二先生の「トンネル奇譚」の世界だが、この漫画が元ネタな気がしてならない。因みにトンネル奇譚におけるトンネルのモデルは岐阜の某所に存在するそうだ。

桶狭間古戦場跡 ・愛知県豊橋市・名古屋市

・レポート ・動画

「桶狭間の戦い」といえば、日本の歴史の中でも非常に有名な戦である。大河ドラマ等の映像でも描かれる事も多く、この戦を知る人も非常に多い事だろう。織田信長の歴史の中でも欠かせないエピソードである。

思いっきり大雑把に書けば、織田信長軍から奇襲攻撃を受けた今川義元らが討死したといった感じになる。その地が桶狭間と伝えられており、今では「桶狭間古戦場跡」として今川義元らの墓石等が見られる。

そんな地であるから、霊的な噂が少なからず聞かれるのも、納得できなくもない。背景が戦国時代という事もあり、それを連想させる霊(要するに武者)が目撃されるそうだ。

数々の石碑や墓石等が当地にはあるのだが、その中でも非常に興味深いのが「お化け地蔵」の存在ではないだろうか。嘉永6(1853)年に尾張藩士が建立した物なのだが、現地案内板によれば、この地蔵尊を建立して以降、霊が現れなくなったそうなのである。という事は、それ以前には桶狭間の戦いでの戦死者と思われる霊が、地蔵尊を建立させる程に出現したという事になる。

それは逆をいうと、その地蔵尊の存在により今では霊は現れないという事にもなる。そう聞いて「何だよ!」なんて思ってはいけない。成仏されずに彷徨い続けていた霊達が、その地蔵尊により成仏できたのだから、それは喜ばしい事なのである。しかしながら、一部では未だに目撃談は多かれ少なかれ聞かれるといった噂もある。

また、桶狭間古戦場跡とい名称で当地の情報を書いたが、現在に見られる桶狭間古戦場は「桶狭間古戦場伝説地(豊明市)」と「桶狭間古戦場公園(名古屋市緑区)」と2つ存在している。お化け地蔵や今川義元らの墓石があるのは「~伝説地」であり、今川義元公と織田信長公の両者の銅像が誇らしげに建てられているのが「~公園」である。

浅間神社 ・愛知県豊橋市

・レポート ・動画

愛知県豊橋市、旧本坂トンネルから然程遠くない位置に「浅間神社」がある。
姫街道沿いにある浅間神社は「首狩神社」という物騒な通称で有名である。何でもこの本坂峠を通る旅人達が、山賊により襲われ首を切り落とされたという噂がある。その首が放置されたのが浅間神社だと言うのだ。いわれの真意は不明だが、何とも血生臭い通称である。

神社の参道は強烈な段数のある階段であり、神社へ向かうには相当の体力を奪われる。その階段の1段目と3段目を踏むと、何と呪われてしまうそうだ。どんな呪いだかは不明なのだが、今後私の身に何かが起きれば、それはここの呪いの可能性も捨てきれないといった感じだ。

私の様な変わり者は、好んで(はいないのだが)踏んでしまうのだが、呪われるのを避けたい人は、事前に知っておきたい情報である。

伊勢神トンネル ・愛知県豊田市明川町~連谷町

・レポート ・動画 ・お客様の声

愛知県豊田市明川町~連谷町にある伊勢神峠。東側には段戸川が流れ、そして東西に国道153号線が伸び、この峠を貫くかたちで、この“伊勢神トンネル”は存在する。
伊勢神トンネルは、新旧2つのトンネルが存在しており、旧伊勢神トンネルは明治30年、そして現在メインとして使われている新トンネルは、昭和35年に完成しており、新旧もとに現在となっては非常に歴史あるトンネルだといえる。

長き歴史を刻むにつれ、このトンネルでは様々な霊的な噂が聞かれるようになる。古くは昭和20年代に「幽霊が出る」といった噂が、この道を通る旅人などから聞かれるようになったと言われている。昭和20年代といえば、まだ新伊勢神トンネルが完成する前という事になるのだが、この時に噂されていた霊が、果たしてどのようなものが根源であったかは定かではない。一説には「トンネル付近で自殺者がでた」等の話もあるのだが、時代が流れるにつれ、その裏付を取るのも困難になっているし、「その手の情報はガセだ」といった情報も正直存在している。

一方、新伊勢神トンネルは、上にも「昭和35年に完成」と書いたが、工事着工は昭和33年で、約2年の月日を経て完成に至っている。そこでこの“伊勢”というキーワードと、この年代を照らし合わせると、一つの自然災害が浮き出てくる。昭和34年9月26日に日本を上陸し、上陸地やその周辺に壊滅的なダメージを与えた「伊勢湾台風」である。ちょうど工事期間中に遭遇してしまうかたちとなり、現地でも大きな爪痕を残す事となった。この被害により亡くなられたのは、12名の出稼ぎ労働者であったといわれている。この辺も、現地の霊的な噂の発生元と思われるのだが、この12名の犠牲者は全て発見され、手厚く葬られていると言う事である。(だからといって、この犠牲者の霊が出ないと断言できるわけでもないのだが…)

工事現場での犠牲者だけに着目すれば、上記した通りとなるのだが、台風による被害は、何も工事現場だけに留まるわけではない。付近に住んでいた住民も、当然被害を受けたわけであり、中には遺体が見つからない者も存在したという。そして、遺体が見つからなかった者と思える女性の霊の目撃談も存在している。しかし一説には「この付近では人間の被害はない」との情報もあり、事実や如何に…といった感は拭い去れない。

時を経た現在、上記したものに関連した情報や、そこから発展したかのような内容、はたまた根本的に違う内容まで聞かれたりする。現地が醸し出す雰囲気、過去に起きた事実、そして流れ行く月日のなかで生まれていったのだろう。今後も様々なかたちで語り継がれていく現場であると感じている。

小豆坂古戦場 ・愛知県岡崎市

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戦国時代に今川勢と織田勢との争いのあった場所の1つが、この「小豆坂古戦場」である。かつて2度ほどの戦があったとされているのだが、そのうち1つ(天文11年の戦)は無かったとの説もある。

戦の回数こそ定かではないが、この地で戦が起きたという事実は間違いない。多くの地が、この古戦場の周囲に染み込んでいるという事になる。
なお、この今川と織田との争いは、後の「桶狭間の戦い」という有名な戦まで続くことになる。

現地には槍立松や地洗池の碑が立てられているのだが、元々はここではなく別の場所からそれぞれ移設された経緯がある。そう書くと「なんだ違うのか」と思いがちだが、この辺一帯が古戦場であり、その象徴というか目印というか、そういった意味合いで、こうした碑は存在するものだ。
かつての戦場の面影こそないが、今ある碑を眺めながら、この周囲一帯で起きたかつての戦を思い偲ぶのも悪くないだろうと思う。

なお、ここにおける霊的な情報は実は少ない。手元の書籍でみても、学習研究社発行の「恐怖の心霊ゾーン・ガイド」に掲載されている位だ。そこに掲載されている内容も、碑で起きるのではなく周辺において怪現象が起きているといった内容だ。したがって、霊的に突き詰めて調べるとしたら、周囲にもっと目を向けるべきなのかもしれない。しかし、そんな事を突き詰めるより、先にも書いた様に戦の激しい時代に散っていった兵に想いを馳せながら、小豆坂古戦場の碑を前にしてみても良いのではと私は思うのである。

長久手古戦場跡 ・愛知県長久手市

・レポート ・動画

織田信長が本能寺の変により明智光秀の謀反により自害し、それ以降の激動の末に起きた戦場の一つが、この「長久手古戦場跡」である。対峙したのは、後に豊臣を名乗る事になる羽柴秀吉と信長の次男の織田信雄。その信雄を抱え込み、秀吉に歯向う姿勢を見せた徳川家康である。

天正12年(1584年)3月、家康・信雄軍は秀吉との合戦に挑むべく、約1万6千の軍勢で浜松城を出陣した。対する秀吉軍も、約10万の大軍で尾張へと向かうのであった。その後、様々な睨み合いや戦の末に、戦の場は長久手へと移り両軍が激突するかたちとなる。

この戦は激戦となり、両軍とも大きな犠牲者を出す事になった。特に秀吉側の犠牲は多く、その数は2千をゆうに超えたとも言われている。

そんな激戦の地であるのだから、やはり討死した人々の無念が残っているのも頷ける。時は平成となり、基本的には平和な時代に見合った静かな公園であるのだが、一部の人々からは心霊スポットとして噂される事も少なくないそうだ。

愛知県森林公園 ・愛知県尾張旭市~名古屋市守山区

・お客様の声

「愛知県森林公園」は、尾張旭市と名古屋市守山区にまたがる広大な敷地のレクレーション施設である。植物園や広場といった一般施設や運動施設なども整った公園で、多くの人々が、その様々な目的の為に訪れる賑やかな公園である。

公園には2つの池があり、そのうちの1つ「大道平池」では有料ではあるのだがボートに乗る事が出来る。また近くにはバーベキュー場もあったりと、公園施設においても人気スポットだと言えそうだ。

その大道平池付近には公衆電話が設置されているのだが、どうもその付近にて霊の目撃情報がある様だ。「子供を抱いた女性の霊」というのが目撃情報としては多いのだが、それ以外にも色々と噂話は聞かれるそうだ。因みにこの女性の霊は、池に身を投げた自殺者の霊ではないかと言われている。

入鹿池 ・愛知県犬山市

・レポート ・動画 ・お客様の声

ここに紹介する「入鹿池」は、寛永9年(1633年)に工事を着工し翌年に完成した、人工的に造られた農業用の溜池である。

完成以降、周囲の農業発展に貢献していくのだが、それから2百年以上経過した明治元年5月、それまで大した災害はなかったのだが、その時の大雨により堤が決壊してしまい、周辺に大きな被害が及ぶこととなる。死者や負傷者は2千人を超え、また多くの家屋も流失したそうで、その災害は「入鹿切れ」と呼ばれ、今でも語り継がれている。

そんな負の歴史のある現地では、やはり霊的な噂話は少なからず聞こえてくる様だ。やはり現地で出没する霊は、その水害の犠牲者なのかと思いきや、実はそうでもないのが面白くも不思議なところである。具体的には、例えば

「夜な夜なトランペットの音色が聞こえてくる」

といったものだ。さすがに明治元年にトランペットは、無くなはいのだろうが不自然であり時代にそぐわないと思う。なので、もし霊の仕業であったと想定するのなら、近年の霊だといえるだろう。ただし、トランペットを吹いているのは、霊ではなく生きている人間である可能性の方が圧倒的に高いのは言うまでもない。実際に「実は近所の学生が夜間にトランペットの練習をしていた」というのが真実であるといった話もある。

そんな入鹿池だが、近年になり事件や事故が起きているそうだ。貸しボートが転覆事故を起こし、また女子高生が受験を苦に、入鹿池の橋から飛び降り自殺し、共に亡くなられてしまったそうだ。その橋には、その女子高生と思わしき霊が度々目撃されるとの情報も存在する。

それら亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに、基本的に水場は霊現象が在る無いに関わらず何かと危険が付きまとうものなので、十分気を付けた上で接したいところである。

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