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心霊スポット探索レポート
須花トンネル
所在地:栃木県足利市名草中町〜佐野市下彦間町
探索日:2004年3月25日
公開日:2006年9月某日

■私が、この「須花トンネル」に訪れたのは2004年3月。佐白山の取材を終え、次に訪れたのが、この現場ということになる。思いのほか佐白山の取材に時間が取られ、更に慣れない土地を車で移動したこともあってか、現地に到着したのは私の記憶が正しければ午後3時を過ぎていたころであったと思う。

まいったな…予定していた時間を大幅に遅れちゃったよ…

ついついこんな言葉を囁いてしまう。この取材にあたり、予め考えておいたスケジュールも、実際に出向いた時には何の役にも立たないものであった。まさに“机上の空論”である…。


■先にも書いてあるとおり、私の記憶によれば現地入りしたのは午後3時ごろ。天候は曇り空であったと記憶している。このトンネルは、足利市と佐野市との境にある「須花峠」に作られており、また「新・旧・旧々」と3つのトンネルが掘られている。東京の「吹上トンネル」のように、道路の近代化により新たに作られたのだが、その年代により「明治トンネル・大正トンネル・昭和トンネル」と呼ばれている。この名称からも分かるとおり、明治以前にはトンネルは存在せず、当時の峠越えは難儀であったのは容易に想像できる。取材当時は、時間の都合により峠道の取材は見送ったのだが、そもそも現地での噂はトンネルから発せられているので、とりあえずは“良し”としておくことにした。

 書籍に掲載すべく写真を撮影するための取材がメインであったため、明るい時間帯を狙って訪れたのだが、先にも書いたとおり、到着時刻は午後3時過ぎ。現地では学校帰りの学生多数に若い女性3人組、それに如何にも“サイトの取材”といった雰囲気を醸し出した男性2人と、何とも“お祭り騒ぎ”的な状況であった。この雰囲気は、取材する上ではあまり良い状況ではないのだが、強いて上げれば現地の“人気度”を知ることが出来たので、これまた“良し”としておこう。

 然程離れていない場所から、女性3人組の肝試し特有の悲鳴が聞こえ、中学生の団体様に囲まれ「何かの取材ですか?」と質問攻めの取材に少々戸惑いつつの現地撮影となる。“質問攻め”には、とりあえずお茶を濁しつつその場をいなしたのだが、私ばかり質問されるのも何ですので「こういった情報は何所で手に入れるの?」と“逆リサーチ”をかけたところ、「ケータイ」という答えが返ってきた。携帯が昨今の若者にとって重要なアイテムであると改めて痛感しつつ、また“もっぱら書籍”を参考に心霊スポットを知ってきた私の若き頃と比較しジェネレーション・ギャップを否が応でも感じた。もっとも、“活字で情報を得る”という意味では、何ら変わりは無いのだが…。

 話が横道に逸れたのだが、そろそろ本題に移りたいと思う。まず現地入りすると、自ずと目に入ってくるのが「昭和トンネル」である。文字通り“昭和”に造られた比較的新しいトンネルであり、照明器具もしっかりしている。これが現在の現役のトンネルになるのだが、車で通過した際にも特に恐怖感はなく、もし予備知識なしに訪れたのならば、何事も無く通過してしまうこともあるだろうと感じた。しかし、当地での噂は、この「昭和トンネル」でにおいては非常に少ない。実はこのトンネルの両脇にポッカリと坑口の開いた「大正・昭和トンネル」から、様々な噂話が多く聞かれているのである。よく聞かれる噂話としては、「作業服姿の男性が複数でこちらに近づいてくる」といった具体的なものから、「女性と思われる霊体を目撃」といったアバウトなもの等がある。しかし、この情報が果たしてどちらのトンネルによるものなのかは、私の知り得る知識・情報からははっきりしない。

 当地に現れる“作業服姿の男性”の霊が、工事中に亡くなった人と推測すれば、如何にも落盤しそうな「明治トンネル」で亡くなった人と思えなくもない。実際に明治トンネルの工事は様々な部分で難航していたのは現地の案内板により確認できる。それによれば、明治14年に工事を着手し、8年もの歳月を経た明治22年に完成している。手掘りによる工事の苦労は計り知れず、時間と共に資金も瞬く間に底を付き、苦心の末に完成したのだから、このトンネルに染み付いた関係者の様々な想いは並大抵なものではない。幅広い意味で“念”が染み込んでいるのは間違いなく、そういった意味を踏まえた上で目の前に立てば、非常に考え深い姿に見えてくる。しかし、現代人が一見して“作業服姿”と認識できたという部分に注目したうえで、「明治時代の作業服は、現在と同じなのか?」と問うと、これまた疑問に思えてくる。明治より大正時代の作業服姿の方が、より現代的であるのが自然ではなかろうか?付け加えて「明治トンネル」は古くから通行禁止であったとは容易に想像できる。そこまで踏まえると、今日に聞かれる体験談は、大正6年に完成され「昭和トンネル」が完成する昭和55年まで現役として使われた「大正トンネル」が怪しいのではないか…なんて思えてくる。

 想像し始めるとキリがなく、かといって答えを導き出すには、結局のところ体験者に聞くのが手っ取り早いのには間違いない。今後の過程で、もし体験者の話を聞くことが出来たなら、このページ若しくはこのサイトに付け加えたいと思う。


■現地入りして、まず最初に目に入るのが、「昭和トンネル」である。現在の須花峠での現役のトンネルであり車で通過しようとすれば、自ずとこのトンネルを通ることとなる。目撃談などは、このトンネルの両脇にある「明治・大正トンネル」に集中するのだが、双方のトンネルに挟まれていることや、人々の出入りなども考えれば、やがて目撃談も発生しるかもしれない。


■現在の「明治・大正トンネル」は、基本的に進入することは出来ない。大正トンネルには露骨にフェンスが設置されており、「絶対に入ってはいけない」という姿を見せ付けている。内部はレンガ造りとなっており、以外にもしっかりしているので「これで通行禁止か?」と疑問に思えてくるほどだ。それなのに何故に立ち入り禁止なのかと考えると、妙に意味深長で不気味に思えてくる。

 明治トンネルも、坑口の前には柵が設けられ進入を拒んでいる。しかし、この柵が簡単に乗り越えられるような簡素な作りであり、実際に進入してしまうことが可能となっている。落盤による危険性から、内部に入ることを禁じているのだろうし、それを踏まえた上で進入し、その結果はあくまでも自己責任とすれば、良いとは言わないが入ってしまう気持ちも分からなくはない。実際に取材当日も、例の中学生の団体様が潜入していたらしく「中はもっと面白いですよ」といったコメントと共に内部に入ることを進められたのだが、今回の取材では遠慮することにした。町の史跡にも認定されている歴史あるトンネルの内部を、万が一でも破壊してしまったとしたら、このトンネルを苦労の末に造り上げた当時の人々に申し訳ないと思ったのが、まず1つの理由であった。

 しかし、実はこれは二次的要素だったのかもしれない。明治トンネルを目の前にし、まず最初にイメージしたのは、何とも形容しがたいのだが“壁”みたいなものだろうか。手前にある簡素な柵とは対照的に、目に見えない重圧な重い空気を、何となく感じたような気がしたからである。もちろんこれは「単なる考えすぎ」と言われてしまえば、それこそ“ぐうの音も出ない”ほどの全く根拠のないものであり、霊感とか何かとは全然違うと個人的に思っている。そもそも自分ににどれだけの霊感があるかなんて全く分からないし…。

 とにかく、そんな理由により内部潜入は遠慮したのだが、実はこのような奇妙な感覚は「大正トンネル」を前にしたときにも感じたのであった。話は前後するのだが、明治トンネルに行く前に大正トンネルを撮影したのだが、何と言うか、明治トンネルとは別といって良い感覚というべきだろうか。トンネル中央に奇妙な気配が蠢くかのような…強いて表現すれば、このような感覚を味わった。内部を覗けば向こう側の坑口も見え、一見して恐怖感は感じなさそうだが、何ともいえぬ奇妙な感覚に、「進入禁止で良かった」なんて心の奥で思ったのが実際のところであった。

 双方のトンネルを比較するとすれば、恐らく外観の凄味からして「明治トンネル」に軍配が挙がりそうだが、私個人の意見で言わせていただければ、双方とも甲を付けがたい気がする。そういえば何かしらの資料で「明治・大正トンネルで噂が聞かれる」と目にしたのだが、その意味が何となく分かったような…そんな取材であった。

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■「大正トンネル」までの道程はこのような雰囲気だ。道の先にはトンネルの坑口が少しだけ顔を覗かせている。
■見ての通り、坑口にはなかなかシッカリしたフェンスが設けられている。当然ながら内部に入ることはできないのだが、後に紹介する「明治トンネル」よりは、遥かにしっかりした作りである。

「なのに何故立ち入り禁止なのか?」

といった疑問は自ずと湧いてくるのだが、案外単に「肝試し防止」のためのフェンスだったりするのかもしれない。
■フェンスより中を覗くと、然程長くないトンネルのため、向こう側の坑口を確認することができた。一見するえば、それなりのトンネルの雰囲気なのだが、中央の“闇”には個人的に嫌なものを感じた。
■「明治トンネル」に向かうまでの道程。落ち葉などがやや堆積し、荒れているようにも見えるが、舗装もされており「なるほど史跡」と思わせる雰囲気を感じさせる。
■その道を進めば、やがてこの様に「明治トンネル」が姿を見せる。岩肌に荒々しく開けられた坑口に歴史を感じると共に、何とも独得の恐怖感を感じさせてくれる。

写真で改めて見ると、「重苦しい空気は何処」といった具合なのが残念といえば残念。いや、分かる人は分かってくれる…かな?(汗)
■トンネル手前には、このような案内板が親切に設置されている。こういった情報に目を向けるのが、スポット取材に限らず旅において楽しくさせてくれるポイントだと個人的には思う。「知って何になるの?」と突っ込まれるとキツいのだが、知ることで色々とイメージできるのは重要ではないかと…私は思う。
■「明治トンネル」の内部はこのような感じ。カメラの望遠機能を使って内部に潜入したように見せかけているが、実は“見えない壁”に阻まれ、柵の手前からビクビクしながら撮影しているという「オチつき」の写真でもある。


■このようにして、この「須花峠」での取材を終えたのであった。本来ならば、もう少し長く取材したかったのだが、次に向かうべく現場(はねたき橋)のこともあり、早々と撤退するしかなかったのが残念であった。また機会があれば訪れることもあるだろうし、その時にはジックリと歩き回ってみたいと思う。

 余談だが、上の最後の写真を撮影したのちに、例の中学生からの質問攻め(といっても大した物でもないのだが)に遭った。場所はメイン通りから明治トンネルに入る入り口付近であっただろうか。正直なところ、次の現場のこともあったので早く立ち去りたいのが本音ではあったのだが、かといって“ないがしろ”にするのも失礼であったので、ある程度の会話で切り抜けたのは先にで紹介した通りである。

「どんな本に載るんですか?教えてくださいよぉ〜」

などといった会話をし、その最中に隣の大正トンネルでは肝試しの女性3人組みが

「ぎゃ〜〜〜〜〜〜」

などと叫びながら手前の入り口に戻り、またトンネル坑口に進めば奇声を上げる…といった具合で怖さを楽しんでいたように感じた。

「人気心霊スポットの姿だねぇ」

なんて当時は軽く思ったのだが、今になって思えば、あの女性たちは私が感じた“奇妙なモノ”を、より具体的なカタチで目撃し、そして恐怖の余り奇声を上げていたのかもしれない。もし、そうだとしたら「話を聞いておけばよかった」と、後悔の念に駆られるばかりである。


 そういえば、叫びながら入り口まで引き返してきた女性たちの表情は、“楽しんでいた”というよりも、むしろ“怖いものを見た”といった表現の方が当てはまる気がしてくる。私の記憶が正しければ…。

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