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心霊スポット探索レポート
神流湖:その3
所在地:玉県児玉郡 群馬県藤岡市
取材日:2004年4月1日
公開日:2008年7月某日

■今回紹介するものは、前回および前々回とは違い、絵的には深夜のものとなる。「その1」でも触れたのだが、今回紹介するのは2006年に訪れた時のものであり、やはり書籍作成のためのデータ収集が主な目的であった。

 以前にも訪れたこともあり、私の手元には“それなりの”データはあったのだが、出版サイドから「夜の絵が欲しい」との依頼を受け、再び現地入りし、しかも近年では珍しいともいえる深夜の取材となったのが、簡単な経緯である。

 なお、上記のとおり書籍作成が取材の第一の目的であり、そのデータは既に出版された「2006年度版怨念地図:東京エリア」にて現地入りした同年に出版されている。なので写真的には似たようなものになってしまう事を予めご理解していただければ幸いである。

 また、この取材は“深夜”という時間帯ということもあり、様々な危険性も考慮し、基本的に北関東エリアを担当して下さった異界への招待状の管理者、やっくん様との合同取材となった。取材を終えて2年も経過しての公開となったのだが、お互い苦悩と戦い、またお互いに協力しながらの作業に、やっくん様の存在なくして出来得ない作業であったことは、今になって更に切に痛感している。

 この場を借りて、感謝の意を深く深く表したいと思う。本当に有難う御座いました。



■以下より少々趣旨を変えて、現地で体験した出来事を、体験談チックに紹介したいと思う。
 この文章は、現地データを出版サイドに渡す時の参考資料として私が書き上げたのだが、思いっきり要約されてしまったことと、現地を体験したあと間髪入れずに書いた文章の方が、リアリティがありそうな気もしたので、今回原文のまま使うことにした。

 もし、手元に「2006年度版怨念地図:東京エリア」があるのなら、それと見比べてみると、前後関係などが見えてきて面白いかもしれない。

 なお、文中のスタッフとは、言うまでもなく異界への招待状:やっくん様である。



 この橋は、以前にも妙な経験を味わったことがあったためか、現地を目前にしたときには正直にいって非常に緊張した。

 以前に訪れたときは、太陽の日差しが心地よい春の昼間であった。
 橋を眺めても、恐怖感より周囲の景観美に感動すらしていたのだが、橋を渡って程なくしたとき、今までの暖かさを打ち消すよな冷たい空気が、私の周りをまるで取り囲んだのである。その霊気を帯びたかのような冷たい空気は、まるで何かを私に語りかけているかのような、はたまた、もっと極端に言えば、私を湖の奥底に誘っているかのような…そんな気分にさせられ、昼間でありながら異常なまでの恐怖心に駆られたものであった。

 さて、そんな思い出話はさておき、今回の取材での琴平橋の雰囲気は、やはり以前に感じた雰囲気そのままであった。いや、実際には以前に感じた以上の不気味な空気が、橋の中央辺りに蠢いていたように思えた。

 現地を撮影するため、橋の手前で車を停め外に降りる。車の中で見る風景と、実際に肌で感じた琴平橋の雰囲気は全く違うものがあった。

「ここはやはり普通ではない」

 思わずそんなことを溜まらず口ずさんでしまう。カメラを橋に向け、写真を何枚か撮影したころだろうか。橋の下(即ち湖面)より奇妙な物音が聞こえたのである。それは物音というよりも何かの泣き声といった方が当てはまるだろうか。

下へ続く


■下久保ダムを目の前に、ま後方には慰霊碑のある公園を背に撮影。この場所から、今回の深夜の取材を始めることになった。

この時点では奇妙な“音”か聞いていない。





「ほっ…ほっ…ほっ…」

 それは甲高い声で鳴く小動物のような、若しくは裏声でうすら笑う男性の声にも似ているような…。同行したスタッフに

「いま何か妙な声が聞こえなかったですか?」

 と、思わず聞いてしまう程であった。音が“音”として発信されているのなら、スタッフも同じ音を聞いていて何ら不思議ではない。実際にスタッフからは

「確かに聞いた」

 といった返事が返ってきた。しかし、確かに聞こえたのではあるが、妙な部分で私の聞いたものと一致しない部分があった。スタッフは、

「そのような甲高い声ではなかった、もっと低音の効いた声であった…」

 神妙な面持ちで付け加た。

(おかしい…そんなバカな…)

 そんな疑問を不安感と共に抱きつつ、琴平橋を渡り始めた。後方よりスタッフが車で進み、その前を私が徒歩で進む。深夜の冷たい風に身を晒され、春とは思えないような寒さに加え、両側の闇の向こうに広がる湖面から感じる異様な感覚に、風邪をひいた時に感じる悪寒のようなものを感じた。

「たしか以前はこの辺で妙な感覚を…」

 なんて思ったころだろうか。私の左側(神流川上流)より、またしても奇妙な音が聞こえた。それは先ほどに聞いた音とは聞こえ方は違った。例えるなら、「金属同士を擦り合わせた音」とでもいえば良いだろうか。音量は小さいのだが、やたら耳障りな音に、尋常でない不安感に駆られる。即座に車を運転するスタッフに、音が聞こえたかどうか確認する。しかし、車中にいたため、当然ながら確認はできなかった。

 今になり、改めて“あの音”を思い出す。「金属同士を擦り合わせた音」と表現したが、よくよく考えてみれば、女性の悲鳴にも似ていた気がする。

 断末魔の悲痛な叫びとでもいうのだろうか。

 そう言えば、この橋では嘘か誠か

「恋人同士が投げ落とされ、そのうち女性の遺体は発見されていない」

 といった情報を思い出した。もしやその女性の未練の叫びであっただろうか?だとすれば、あの声色から察するに、間違いなく成仏は出来ていないであろう。

 取材中より続く左肩の痛みが、今も期になって仕方がない…。





 以上が私が当時作成した原文である。
 現地入りした2人とも、奇妙な“声”は聞いているのだが、その音程というのかトーンというのか…が、全く違っていた部分に、不思議な部分を感じる。いや、それ以前に人が全くいないにもかかわらず声が聞こえたこと自体が不思議なのだが…。

 という事で、以下よりそんな雰囲気であった現地の写真を紹介していく。



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■慰霊碑が“ひっそり”と建てられている公園の写真。悲しさ加減は、昼間とは比較にならない程だ。夜間なのだから、人気はないのは当然だし、さらに寂しく感じるのは当然といえば当然だ。しかし、写真では伝わることの難しい独特の雰囲気は、深夜特有のものであると痛感し、またご冥福を更に強く祈るばかりであった。
■深夜の慰霊碑の姿。当然のことながら、配置されている位置関係に大差はなく、ただ背景が暗闇になっただけの写真と言われればそれまでである。あとは“解釈の仕方”といったところだろうか。個人的には添えられた花に、何とも言えぬ慈しみを感じ、更なる複雑な感情に陥ってしまいそうな写真に感じる。

なお、慰霊碑中央下部の、妙にオレンジな箇所が気にはなる。他にも数枚撮影したのだが、それらにはこのような色合いは無かったからである。
■琴平橋の深夜の絵だ。中央の影は私によるものだ。車のヘッドライトを背に撮影したため、このような写真となった。

この写真を撮影する前あたりだっただろうか。あの

「ほっ…ほっ…ほっ…」

という奇妙な“声”を聞いたのは…。
■神流湖のトンネル郡の1つ、「門ヶ谷トンネル」の写真だ。漆黒の闇である現地では“光のオアシス”と言えなくもないのだが、現地を目前に最初に率直に感じるのは、やはり不気味さであった。
■以下より、当サイトでは、あまり取り上げることのない廃墟の写真となる。
■荒れ加減はご覧のとおりと言ったところか。廃墟としての“凄味”みたいなものは感じたが、かといって“それ以上”のものを感じたような記憶もない。
■ご覧のとおり、物凄い状況となっている。足元は不安定なうえ、深夜のため視界もろくに確保できない状況だ。廃墟の取材は明るい時間帯が適切なのは間違いない。
■ここは離れの風呂場だと思われる。即ち“水場”だ。当時の排水等の設備具合はどうなっていたのか、そのような部分に意識が注がれてしまう。
■内部はご覧のとおり。奥に見える湯船の存在がなければ、ここが風呂であるかさえも分からない状況である。


■以上が「神流湖」のレポートとなる。
 かねてから「時間帯別の取材がしたい」と思っていただけに、結果としてそれが叶ったという意味で、とても満足のいく取材となった。それにより「やはり夜は違う」と明確な根拠はなくとも妙に納得してしまった部分が、何より大きな収穫であったと個人的には思っている。取材後に異界への招待状:やっくん様と

「やっぱ夜は違うねぇ〜」

なんて話していたのを思い出す…。

 実は、このような奇妙な体験は、ここに限ったことではない。この時の取材では、その他にも関東地区の数か所を訪れたのだが、それらの各スポットで何らかの妙な体験をしたように記憶している。それらは別のレポートで、追々紹介していこうと思う。

 なお、「怨念地図」は残念なことに、この年を最後に発売が停止となり、以降やっくん様との共同作業も行ってはいない。作っている最中は、それこそ苦悩との戦いなのだが、出来上がった時の達成感は実に多きく、また実りあるものでもあった。

 今だから話せることなのだが、実は「2007年度版をもって怨念地図の発行を最終とする」といった案も出ていた。それに向け、「最後だから気合を入れて作り上げよう」と、気持ちを整えていた時期もあったのだが、上層部より「今年から無し」という伝令が下り、結果として自然消滅という格好となってしまった。

 正直なところ、燃え尽きる覚悟さえあっただけに、この肩すかしは実にキツかった。と同時に、歴史ある書籍が消えてしまった事に対する悲しみも、少なかれあった。

 もう機会は訪れないのかもしれないが、もしまた何らかの“形ある物の制作”に携わる機会に巡り合えたのなら、その時はまた、異界への招待状:やっくん様と共同作業をしたいものである…。


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