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■なかなか急な坂を登り切り、「御主殿」の姿が見えてきました。 とは言う物の、当然ながらその姿は現在はなく、跡地が広々と広がるだけなのですが… |
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■橋から門まで続くこの“虎口”は、言わば“城への入口”であり、即ち敵の侵入経路ともなりえます。 その為、作りは厳重な物となっており、落差はモトより橋から180度に折れ曲がる形で作られたこの“虎口”は、八王子城の特色を良く表す物と言われております。 発掘当時の石積みは、かなり程度の良い保存状況であり、当時の石積み技術を知る上での貴重な資料になったらしいです。 とは言えさすがに“当時のまま”と言う訳にはいかず、歪みが生じた個所は一度解体し、元通りの積み直し、欠落した個所などは補足するなどして復元されました。 |
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■石積みを下り、降り返った所で門を撮影。 写真中央に見える“もや”は雨粒かな?(汗) |
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■因みに“門”は発掘当時は、その基礎のみが存在し、その為ここに門がその昔建っていた事が分かりました。 しかしその他の門に関する物は殆ど見つからず、再現は空想の物となりました。 また発掘当時は風化されにくい“瓦”も一切発見されなかった事から、瓦屋根付きの門でなかった事は容易に想像出来ます。 先程“空想”と書きましたが、一応上記の遺跡より、時代の一般的な作りである“冠木門”と言う形を採用されており、実は以外と現物に近い形なのかもしれません。 と言う事で、何だか“心霊スポット”としての紹介文とは全く違う形となり、非常に不安を感じているのですが…(大汗) とりあえずその周囲の写真を紹介して行きましょう!!(苦笑) |
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■上から見た“虎口”の写真です。 その向こうには橋の姿もチラリと確認出来ますね?この石積みを駆け上る武士の姿を想像してしまいます。 |
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■この様に場所により、かなりの落差があります。 周囲が暗い時などは以外と危険かもしれませんね? |
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■下より“御主殿”を望むの図。 その向こうの雲に隠れた山が当時の大要塞であった八王子城であり、地区分けで言えば“要害地区”であります。 発掘調査の進行状況は良いとは言えないとは、管理のおじさんの小言です。(笑) 因みに御主殿のある地区は”居館地区”と言われ、城主や家人が衣食住する場所であり、城下町にあたる場所を”根小屋地区”と言います。 |
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■そしていよいよ橋の姿が目前となってきました! 雨に濡れたその姿と古びたその風貌が、なかなか良い感じであります。 |
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■で、“曳橋”の正面に辿り着きました! このまま橋を渡り古道を進む予定であります。 何だか橋の左側部分に妙なシミが見えますが、単なるシミでしょう。(笑) |
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■今回はここまでであります。 徐々に”まったり”としたレポとなってきましたが、実はまだまだ続きます。(汗) 二部構成にした方が良かったかな…と今更ながら思っております。(大汗) 今からでも遅くはないかな? と言う事で、今回はこの辺で。 結局今回は「虎口」の紹介しか出来ませんでしたが、次回こそ「橋」と、そこから続く「古道」の写真を紹介して行きます!!(苦笑) では、次回も是非御覧になって下さい♪ 次へつづく |
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