私と霊との歴史
一応生まれてから今までに心霊スポットに訪れた回数は、重複するのを含め1000を超えることになっている
…というより、気づけばそう紹介されてしまったので、この最上段ではそう書いておきます
(管理者の嘆き)
最下段に続く…

 私が心霊関係に興味を抱いたのは、さかのぼれば幼稚園の頃となる。それ以前の私は、お化けという存在すら知らなかったはずだ。幼稚園の友人に、恐怖系の番組「ビックリ大集合」を勧められ、それを観るうちに、どんどん惹きつけられていったのが、私の“心霊好き人生”の始まりとなる。

 今でこそ、心霊スポットに夜な夜な1人で訪れ取材をしているが、幼少の頃は非常に臆病であり、恥ずかしい話だが、恐怖番組を観終わった後には、必ず1人でトイレに行けないという何とも情けない状況であった。そのつど母親に

「オマエは臆病なんだから!」

と言われ続け、それを打破するために、様々な場所に訪れていた部分は多少なりともあると思う。

 幼少の頃に遭遇した奇妙な体験は、心霊より先に「UFOの目撃」であった。当時は様々な番組での影響などにより

「お化けやUFOは絶対に存在する」

と頑なに信じていた私にとって、このUFO目撃事件の際にも動じることなく

「やっぱ存在するんじゃん」

と言った具合で、誰に確認することなく自分で納得していたのだった。いま思えば、その時に誰かしら大人達を呼び、確認しておけばと思ってしかたない。因みに、UFOに関しては、この時以降は目撃していない。

 一方で、心霊体験に関しては、恐らく小学生になってからだと思う。夜な夜な階段が

「ギシギシ」

と聞こえたのが、最初のことだと思われる。そのほか、独特の圧迫感に寝られずに、何とも言えない恐怖感も幾度となく味わった。因みに階段の「ギシギシ」に関しては、頻度としてはそれこそ頻繁であった。“音”を媒体とする霊現象は、出る場所においては高確率な現象であるのを、この時に何となく学んだ気がする。

 自宅においては、唐突に“顔”が出現するのも少なくなかった。それは私が中学から高校生の頃に、特に多く見られた現象だ。というのも、今になって思えば、特に霊の出る部屋が私の個人部屋になったからである。決して霊が出るから好んで頂いた部屋などではなく、成り行きの末に私の部屋となったのだが、その頃より様々な怪奇現象に遭遇することになる。出現パターンとして一番多かったのが、部活動を終え、深夜に自室のドアを開けると、カーテンの隙間に女性の顔が浮かび上がっているといった感じだ。自室が1階ならば、単なる“のそき”で済むのだが、残念なことに私の部屋は2階なのである。実に困ったことだ。

 このように体験してきたものを、何度か母親に伝えたのだが、母親は一向に聞き入れなかった。あったことを、有りのままに伝えても信じてもらえない時の気持ちは実に歯がゆいものである。親に対して捻くれた態度になっていった1つの要因にもなっている。

 高校卒業とともに社会人となり、その頃より本格的に心霊スポットに出向くようになった。当時はやはり仲間を集っての「きもだめし」的なノリでの現地入りであったのは、間違いのないことである。休日を利用して気の合う仲間と

「心霊スポットに行こうよ」

といった話題となり、即実行といった具合で東京や神奈川の心霊スポットに頻繁に訪れるようになった。誰かが「××が怖いらしいよ」といえばそこに向かい、心霊スポットには行きたいのだが、特に行く場所がない時に備え、ある程度の候補を、予め準備したりもした。思えばこの行為が、私が取材にあたって現在行っている“下調べ”の原点になっているような気がする。心霊スポットの場所を把握するのが主な目的なのだが、それに付随して出現パターンやバックグラウンドに、自ずと目を通すこととなり、この情報を持ちつつ現地に行くと、色々な意味で集中できて実に良いし、また効率も良い。

 このように、心霊スポットの位置などを知識として把握しているものだから、それとは関係のない、例えば現在の女房とのドライブなどでも、唐突に心霊スポットに出向いたこともしばしばであった。その際には必ず怒られたのだが…。

 時を経て2000年。我が家においてもインターネットの出来る環境となり、見る側だけでなく伝える側にもなりたいという野心のようなものが芽生える。要するに

「HP作りたい」

といったものだ。サイトを作るにあたり、ネタを考えるよりも先にサイトを作ってしまったのを思い出す。「知識がなくても作れる」といった触れ込みで、今はなき「Gaiax」で日記っぽいものを作ったのが最初だ。同年3月であっただろうか。

その日記にて、様々な出来事と共に、恐怖体験談を書いたのが、路地裏の始まりだったような気がする。体験談を何話か紹介するうち、

「これは別口で作ってみよう」

といった、またしても野心が芽生え起こしたのが路地裏である。しかし、勢いあまって立ち上げたは良いが、内容の少なさ・薄さに悩み、以前より紹介していた体験談のほか、前々より知識としてもっていた心霊スポット情報を、とりあえず掲載してみた。また、現地の写真なども欲しいと感じ、とりあえず近場でもあり個人的にも色々な体験をしてきた緑山峠の写真を、レポートっぽく掲載したのが、探索レポートの始まりである。

 緑山峠のように、個人的に様々な体験をしてきた場所に対しては、特に事前の調査は必要もないのだが、そうでない場所に関しては、事前の調査が実に重要になってくる。しかし、正直にいって、こういった考えに至るまでには、ある程度の時間を要したのも事実である。ある程度の下調べは行うものの、いざスポットに訪れた際に、迷う部分も当初は多くあった。そういった事を幾度か経験し、より多くの情報を入手した上で出向く努力をしたように思う。霊的な情報は当然として、その地での様々な歴史などに、可能な限り目を通すよう心がけ、そういったものを経て現地入りするようになった。かれこれ路地裏を立ち上げて1年が経過した頃だろうか。

 このように、現地での歴史を知ると、これは私に限った事なのかもしれないのだが、実に悲しい気持ちになってくる。しかし、こういった心持ちのまま現地入りするのは、あまり好ましくないとは、何らかの書籍で読んだことがある。だから、最初はこの素直な感情を抑えて取材していたように思う。しかし、あるとき

「素直な感情を何故に殺さねばならないのか?」

といった単純な疑問が湧いてきた。悲しき歴史を知り、その上で憐みの感情が生まれるのは、人間として自然なことではないのだろうか。それと同時に、その感情が“良くない”といわれている理由として、自身の身に対する危険性を回避するためであることに気づく。また、そういった場所に、自ら進んで出向き、現地を撮影し、雰囲気を味わう自分がいる。そんな事を踏まえると、自ずと

「自ら訪れているくせに身を守るってのはどうも…」

といった考えとなっていった。要するに、現地の“すべて”を知りたくて出向いているのに、身を守っていては、極端に言えば何も得られないのではないか…といった考えである。また、他方で

「もし現世の人間に憑依することで少しでも無念が晴れるのならば私の身を使ってください」

といった考えもあった。これも自ら好んで出向くのだから、そういったリスクも受け止めねばならないという考えが発展したものだ。即ち、自身を守るのではなく、自らをさらけ出し、その上で起こったその全てを、サイトに紹介していく事に“道”を見出したのである。

 しかし、このような現地入りのスタイルは、決して他人に勧められるようなものではない。つい先日も、機会があって、とあるお寺の住職様と話す機会があったのだが、その際に

「あなたは強い“者”に守られているから大丈夫なのかもしれない。しかし、世に生きる全ての人が強い“者”に守られいる訳ではない。だから同じ行動を起こさないようにしなくてはダメだよ。」

というような事を言われた。これには妙に納得するものがあった。私は、決して強い“者”に守られているとは思っていないのだが、でも確かに今までに特に危険なめにはあっってはいない。(といって何事もなかったかと言えば微妙なのだが)しかし、それはあくまで私は大丈夫なだけであり、他人が行けば、やはり何の保障はないし、そう考えると、やはりこのサイトで見るだけに留めてほしいと言わざるをえない。

 それでもなお、路地裏でレポートを紹介するのかといえば、私がレポートを書き終えるまでに経てきた悲しみや怒りといった感情、それにご冥福を祈らずにはいられなくなった気持ちを、少しでも多く、いや、たった1人でも良いから、私と同じ気持ちになってくれたらと願うからである。歯の浮くような文章かもしれないが、書き続けていることで、その願いが叶うかもしれないと信じつつ、このスタイルで続けているわけである。

 路地裏を運営してから、下手をすると10年になろうとしている。普段の仕事との“二足の草鞋”の両立は実に難しく、ついつい仕事にウエイトは傾いてしまうのだが、いつかこの“心霊”に比重が傾く事を祈りながら、この路地裏を運営していこうと思う…。
路地裏へ  私事の部屋へ

でも本当は半分以下であるのは、誇張されがちな世の中での事実である…
(管理者の嘆き)