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心霊写真公開への疑問



 心霊写真を掲載する雑誌や文庫には、よく「公開する事で浄化される」と書いてある。しかしながら、私はその事に対し「何で?」といったような疑問を、常に抱いていた。面白半分で心霊写真を見ても、それは単に霊を怒らす行為でしかないのではないか?

「怖いね〜…あはは」

 などと笑ってしまっては、さすがに霊も良い気持ちはしないであろう。
 幼少からの大きな疑問の1つであった。

 最近になり「路地裏」という霊関係を題材とするHPを立ち上げ、その疑問は更に深まっていった。公開によって魂が浄化する、その“意味”を知りたいと、強く思うようになったのだ。そこで、とりあえずは様々な書物を調べて見る。しかしながら、手元にあるものを片っ端から調べてみても、それに対する詳しい事は載っていない。理由が殆ど掲載されていないのである。

 そんな事がしばし続き、本屋にある書物をたまたま目にし、

「これは」

 と思う時があった。故人を偲んだ書物が売られていたのだ。著者は殆どがその故人の身内か
親密な仲であった者による作品である。その本を見ながら、しばし考えてみた。

(この本を読んだ人は、故人に対してどの様な考えに至るのだろうか?)

 様々な思い出に涙し、そして最終的には故人のご冥福を祈るに違いないと私は思うのだ。

(これはもしや…)

 と思わずにはいられなかった…。

 それから時が過ぎ、果たしていつの頃であっただろうか。某TV番組を拝見していたのだが、その番組内容は、

「息子を病魔により奪われた両親の特集」

 といった内容であった。実際に、お亡くなりになられた男性は、写真で見る限り「好青年」で享年32歳との事であった。当時の私と殆ど変らない年齢でもあったためか、自分とダブらせ様々な思いで食い入るように見ていた。
 本来ならば、それこそ号泣してしまいそうな内容であったのだが、残念ながら私は一家の長、嫁や子供の前で、そう簡単に涙を見せる訳にはいかない。なので、それこそ「グッ」と堪えていたのだが、それほど訴えるものが強い番組であった。それは私に限ったものではなく、おそらく多くの人々に、それは伝わったのではないだろうか。

 その番組を拝見しながら、いつしか私は心の中で、故人に対しご冥福を、いつの間にか自然と祈っていた。というよりも、祈ること以外に出来なかったとでもいうのだろうか。考えてもみれば、まるで赤の他人である私は、それ位しか出来る事がないのである。
 人間とは非力なものだ。もし、人間に力があれば、もし私に時を支配するがあれば、その故人を蘇らす事が出来るのかもしれない。しかし、そんな力は私は持ってはいないし、それは他の人間も同じ事だろう。
 だから私は心から祈った。それしか出来ないのだから、その出来得る事を、精一杯するしかなかった。悔しいけれども、そんな事しか出来ないのだから。

「この番組を観た方々は、恐らく私と同じ気持になったに違いない」

 私は、この番組を観終りしばらく余韻が残る中、そんな事をふと思った。そして、この沢山のご冥福を祈る気持ちは、故人に届き、成仏して行くのではないだろうか。人数によるものでもないのであろうが、皆様の優しい心は「行くべき道」へ誘う物となると、私は思いたい。

 逆に両親は、こと霊科学的においては、現世に縛られる行為を行っていた様に思う。愛する我が息子の死を受け入れられず、結果として明らかに魂を現世に留まらせてしまいそうな行動を取っていた。

 それでも、それは仕方ない事なのだと私は思うのだ。頭では分かっていても、実際にはそう簡単に受け入れるなんて出来るものではない。
 私も二人の子供の親である。もしも同じ立場であれば、私も全く同じ行動をとってしまうだろう。そんな悲しい現実なんて、そう簡単に受け入れられる訳がない。

 番組の申し込みをしたのは、恐らくご両親であろう。番組の中では、「立ち切る為に」といった事を語っていた様に記憶している。両親は、その放映を切っ掛けにして、断ち切る事が出来たのかどうかは分からない。しかし、その番組は放映され、多くの視聴者がそれを視聴する。その末に集まった故人に対する“ご冥福を祈る心”が、やがて魂を成仏させて行くのではないだろうか。

この場を借りて、改めて故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 ここで話を心霊写真に戻す。
 例えば、一枚の写真に写った霊がいたとして、その写真の霊が写り込んだ経緯などを調べ、
それを多くの人々が見たとする。もしかすると、中にはご冥福を祈る方も存在するかもしれない。その気持ちが一つ一つ募り、やがてその霊に届いたとしたら、その霊は成仏出来るのかもしれない。

 私は、前述した番組を観終った時に、そんな事をふと思ったのだ。

 実際には、心霊写真とは興味本位で見てしまう傾向が強いのだと思う。簡単にいってしまえば「怖いもの見たさ」というものだ。そういった気持ちで見てしまった場合には、確かに霊障が起きてしまうのかもしれない。そういった部分に対し、霊能者および霊感の強い方が警告するのはよく耳にするし、確かに間違ってはいないのだと思う。しかし、切っ掛けがどうあれ、もし多くの優しい気持ちが集まったなら、その写真に写る霊は、きっと成仏することが出来るのだと、私は思うのだ。いや思いたいのだ。

 これは考えてもみれば、決して心霊写真に限ったものではない。霊現象の発端となる“霊”の全てに当てはまるのだ。例えば心霊スポットに現れる霊も、その辿った経緯を調べ、その先の事実を知った時には、きっと何かが心に芽生えると思うのだ。

 この考えに至った時になって、ようやく私は冒頭の「公開する事で浄化される」の意味を理解したのだ。いや、実際には本来は違う意味なのかもしれない。しかし、私はこんな風に解釈させて頂いた。なので、この考え方は特に参考にして頂かなくても構わない。しかしながら、願わくばこの“霊を想い敬う気持ち”が、少しでも多く集うことを望んで止まないのである。
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