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コラム3:大久保清連続婦女暴行殺人事件



 「戦慄の心霊スポット:群馬」において紹介している「■島公園付近」という心霊スポット情報がある。

 これは昭和46年3月から5月という短期間に群馬県の狭い範囲で起きた「連続婦女暴行殺人事件」の被害者のうちの1人ではないかとの噂が聞かれる。
 しかし、色々と調べていくうち、様々な疑問を抱くようになり、また長年サイトを運営しているなかで届くご意見などでも

「その情報は違うのではないか?」

といったものが非常に多く、いうならば実に不確実な情報といえる。
 そういった意味でも、もう少し調べてみようと思い、それを実行し自分なりの想いや考えを、このコラムでまとめてみることにした。

 なお、上記のとおりこのコラムでは、私の考えや予想、想像などが多く書かれており、事実とは反した部分も多々見受けられる。その部分に関しては、「あくまで一個人の考え」として解釈していただくことを予めお願いしたい。

 また、「戦慄の心霊スポット:群馬」においては、現場名や加害者の名前には伏せ時を活用していたが、このコラム内においては伏せることなく実名を使うものとする。



 群馬県前橋市の敷島公園付近では、血だらけで物凄い形相をした苦しげな女性の霊が出没し、多くの人に目撃されると言う出来事があったという。
 この霊は、恐らく連続殺人事件の犯人「大久保清」に殺された被害者女性ではないかと噂された。

 「大久保清」の連続殺人事件で殺害された人数は8名にのぼる。
 それらの殺害現場を見てみると、高崎市の工業団地(当時は造成中)で数名と、あとは松井田町や下仁田町といった群馬県内の各所であり、敷島公園付近というのはどうも浮かび上がってこないのが不思議だ。

 現時点では、この情報の「大久保清に殺された被害者女性ではないか」と言う部分は、あくまで「可能性は非常に低い」と言わざるを得ない。

 大久保清は、主に高崎駅近辺で、ターゲットとなる女性を探していたという。
 高崎駅で手当たりしだいに女性に声を掛け、その場は一旦別れる。その後に再開を装い、女性に巧みな話術で女性を信用させ、その後に犯行に及んだと言われている。

 犯行のための“ガールハント”を行っていたのは、高崎駅のほかに

 ・北高崎駅前(JR信越本線)
 ・伊勢崎駅(JR両毛線)
 ・新町駅前(JR高崎線)
 ・央前橋駅前(上毛電鉄)

という駅名が浮かび上がってくる。
 この各駅の位置関係を現在の地図で確認すると、関越道“高崎ジャンクション”を中心に、半径約5km程の半円を描くようにJRの線路が走っている格好となる。央前橋駅前だけは微妙に外れることになるのだが、距離にして1kmにも満たないほどでしかない。

 この“半円”の中に、敷島公園が存在しているのかといえば、実はそうではない。
この半円から外れること、北に3〜4kmほどの利根川の河川敷に、その公園はあるのだ。
 半円の中で、敷島公園に一番近いのは、上毛電鉄の前橋駅前ということになる。

 そうなってくると、ここで車に乗り込んだ被害者が、敷島公園に出るのかと安易に発想してしまいがちなのだが、個人的には少々無理があると思えてならない。どちらかと言えば、殺害現場となった場所に出る可能性の方が高い気がしてならない。

 大久保清は、殺害に至った8名のほかに、“殺害のガールハント”のために声をかけた者の数は100件以上にものぼるという。その中には、ひょっとしたら敷島公園で大久保清に声をかけられた人も存在するかもしれないし、また殺害された8名も、複数回のデートの末に、殺害に及んでいるので、その間に敷島公園で会っている可能性も無くはない。 

 敷島公園のある前橋市に注目してみると、被害女性の住所が3名ほど当てはまる。しかし、いくら住所が当てはまったところで、「その霊が現れる」決定づけるのは、やはり非常に無理があるし強引過ぎなような気がする。

 また、出現情報の「血だらけで物凄い形相をした」と言う部分に注目してみると、この事件の殺害方法は絞殺によるものが全てで、その際に顔を殴り鼻血が出たのという例がある程度だ。
 もし、霊が死に際の姿をそのまま映し出していると想定したならば、目撃者は鼻血を流した女性の霊を見て「血だらけ」と表現するだろうか。少なくとも私なら「鼻から血を流した女性」と表現するだろう。

 しかしこの「血だらけで物凄い形相をした」という情報自体が、実は微妙なものといえなくもない。というのも、その他にも「雨にぬれた女性の霊が…」といった情報もあり、目撃情報が交錯しているのだ。

 情報が複数存在する要因は幾つか考えられる。
 まず、時間が経過するなかで、情報が発展したり、またすり替えられたりするケースだ。人伝に情報が広まるにつれ、例えばそれに“怖さ”を誇張するために大袈裟な表現を加えり、また要点だけを知った者が、それを伝える際に、話の流れて独自のアレンジを加えたりすることで、情報は次第に変化していくのだろう。

 なお、上記のパターンは現地での噂話が1つの場合に限ってくる。しかし、もし現地の霊が例えば複数であった場合はどうなるのか。
 ここで取り上げている事件では、8名の犠牲者が存在していることは再三書いてきた。それらの犠牲者の“すべて”が霊として現れていたと仮定すると、8パターンの出現情報があったとしても、決して不思議ではない。

 要するに、情報が変化していったものと、もともと複数の情報源が存在していたものが挙げられるということだ。そして今回の件については、複数の犠牲者が存在することから、後者の可能性も視野に入れて考える必要性が、どうしてもでてくる。

 そこで、先ほどのケースである「雨にぬれた女性の霊が…」といった情報にも目を向け、幾つか調べてみることにした。
 上記のケースでは、有難いことに殺害者の実名まで記載している。目撃談を簡単に説明すればこうだ。

------敷島公園で、雨にぬれたようにびしょ濡れの女性の霊を目撃した。
その1ヶ月後に事件が発覚し、その新聞記事を見たら、大久保清事件の犠牲者の1人が、その霊であった。------

というものとなる。その記事によれば、その霊は7番目の被害者となる。ここでは仮名として“A子”とでもしておこう。

 7番目の被害者A子の、まずは殺害までの経緯を簡素に書けば、昭和46年5月9日、藤岡市内で大久保と遭遇し、高崎〜前橋〜伊勢崎と徘徊する。その後、ドライブへと誘いだし、殺害現場となる松井田町に向かうこととなる。
 因みに、 松井田町に向かう当初の目的は性行為だ。それを拒まれた末に、殺害に至っている。

 薄々気づいているとは思うが、まず「敷島公園」というキーワードは何処にも見当たらない。公園のある前橋が、徘徊するルートにあるのが“救い”といえば救いだが、先にも書いたとおり、前橋駅からは3〜4kmほど外れている。

 また、殺害現場までのルートのなかに、敷島公園があるととも思えない。
 伊勢崎と殺害現場の松井田町の位置関係は、殆ど真西となっており、そこまでを最短で進もうと思えば、敷島公園はどうしても外れてくるのだ。
 可能性をもう少し広げると、国道を経由するルートをフルに使えば、場合によっては3km以内まで接近するので、経由先の可能性は増えてくる。

 しかし、ここに経由したと仮定して、そのあとに松井田町まで向かうだろうか。
 敷島公園に訪れていたのなら、その後は国道17号を北に走り、榛名湖へ向かうことを選択するのではなかろうか。
 因みに榛名湖は、大久保清婦女暴行連続殺人事件における、第一回目の殺害および死体遺棄の現場である。

 また、A子の殺害方法などの詳細は以下だ。

 ・殺害現場:松井田町
 ・殺害日時:昭和46年5月9日
 ・死体遺棄場所:殺害現場に同じ
 ・殺害方法:殴打・暴行の末に絞殺
 ・当日および前後の天候:晴れ

 この情報を踏まえた上で、敷島公園における「雨にぬれた女性の霊が…」という出現パターンを考えてみよう。
 例えば殺害当時の天候だ。上記のとおり、群馬県前橋市近辺の当時の天候は“晴れ”となっている。もし、これが雨であったのなら、上記の出現パターンも真実味を帯びてくるのだが。

 また、例えば死体を川や湖に遺棄したのなら、犯行当日の天候は差ほど気にもしない。 しかし、殺害方法が上記したものとなると、そうもいかなくなってくる。やはりびしょ濡れの姿で現れるよりは、血に塗れた姿で出てきた方がまだ分かる気がする。

 なお、上記の「雨にぬれた女性の霊が…」の情報のなかでは、その他にも事件が発覚した日時や殺害日などから、逆算ができるような情報も記載されている。前出した情報の後半を読み返せば分かるのだが

------その1ヶ月後に事件が発覚し、その新聞記事を見たら、大久保清事件の犠牲者の1人が、その霊であった。------

の部分がそれである。大久保清が逮捕されたのは、昭和46年5月14日とされているので、それから例えば2日後に新聞に出たとしよう。(実際にはもっと早いのだろうが)

 5月16日の新聞を見て、その中の犠牲者のうち1人の霊を見たという情報と、その霊を見たのは、それからさかのぼること1ヶ月。即ち、4月16日に、この霊体験をしているという計算が成り立つのは誰もが分かるだろう。

 次に、その霊が7番目に殺害された犠牲者“A子”の“殺害日時”について注目してほしい。
 先の説明に、私は「昭和46年5月9日」と書いはずだが、それを踏まえて上記の文章を再び読んで頂きたい。

 お分かりになられただろうか。霊を目撃した時点では、その被害者なまだ生存している計算となってしまう。もっとも、その時点で大久保との接触は、もしかしたらあったのかもしれないが、それでも霊となって現れるには、少々早すぎるだろう。

 霊的な“深読み”を、ここであえてすれば、その霊が“生霊”であったとすれば、かすかな可能性も出てこなくはない。しかし、もし生霊として本当に現れたのならば、その意味とは何なのか。それは行く先の事件を察知し、未来に怒るであろう自分自身の危機を、周囲の人間に訴えていたのだと考えるのが自然だろう。

 即ち、そう考えると未来を予知できたことになる。
 だったら、こんな回りくどい手法をとるより、もっと別に危険を回避する手段はあったはずである。警察に行くなり独り歩きを極力避けるなりといった行動に移すことに、その労力を注ぐだろう。
 少なくとも、わざわざ生霊になってまで訴えるより、はるかに生存確率は上がると思う。

 それらの事を踏まえると、この敷島公園付近における情報は、上記の2つの出現パターンをもってしても、どうも事実とは違う気がしてならない。

 なので、そもそもの敷島公園での霊が出現した情報が“真実”と仮定した上で、もう少し幅広く様々な推理をしてみることにしよう。

 明るみになった8名“以外”の見つからざる被害者の存在があり、その被害者が例えば敷島公園に遺棄されており、その霊が現れたという安易な予想をしてみたとする。こう仮定すれば、確かに敷島公園で霊が現れたとしても違和感は確かになくなる。
 しかし、犯人の「大久保清」の死体遺棄の手法は、人目のつかない場所を好んで選んでいる節がある。具体的には、造成中の現場や山中・畑などだ。決して人目につきそうな公園などは選びそうにない。

 また「知られている被害者以外が存在するかもしれない」といった考え方自体にも、個人的には無理があるような気がしている。
 というのも、取り調べ当初の大久保は、それこそ暴れるだけ暴れていたのだが、いざ殺害の自供が始まると、意を決したように隅々まで供述し、時には得意げな表情で語っていたとさえ聞かれる。

 要するに、取り調べをする警察に対し「こんな細かいことはお前ら知らないだろ」といった、彼のねじ曲がった自慢なのだろうが、世間知らずの彼らしいエピソードだ。

 そんな大久保のことだから、自ら起こした殺害については、その全てを供述していると考えて良い気がしている。そのことを踏まえると、それ以外の犠牲者の可能性は、自ずと低くなっていくと、個人的には考えている。

「敷島公園が当時は建設中だったのでは?」

と考えたくもなるが、残念な事にこの公園の歴史は古く、事件当時には既に存在している。よって、大久保清が好んで使っていたひと気のない造成地には当てはまらない。

 余談となってしまうのだが、上記した造成地でも、霊が出没するとの噂が当時は飛び交っていたという話だ。
 不確実な情報だが、当時は相当数のギャラリーが現地に押し寄せたほどなのだが、時を経た現在に、その場所での霊の目撃談などは聞かれない。個人的には、こちらの現場で今なお噂が聞かれているのなら、今回のようにここまで悩み、その末にこのようなコラムも書くことはなかったとさえ思っている。

 そんな余談はさておき、話を元に戻してみよう。

「敷島公園で殺害し、その後に別の場所に運んで遺棄したのでは?」

といった予想も出来なくはない。しかし大久保清は、どうも殺害現場に移動したうえで実行し、その場に埋めるという手法を基本的にとっている。時には、軽井沢にドライブ中に殺意を抱き、わざわざ“御用達”の造成地まで移動してから殺害に及んだケースもあったほどだ。

 それにわざわざ殺害した死体を運ぶのなら、彼が好んで使っていた造成地に直接向かった方が手っ取り早いだろうし、敷島公園と造成地の距離関係からしても、そう考えた方が自然な気がする。

 そういったことを踏まえると、大久保清が殺害した“その他の女性”が、敷島公園内に隠されているといった可能性は低いと言わざるを得ない。

 情報をまとめればまとめるほど、また推理を突き進めれば付き進めるほど、敷島公園における犠牲者の霊の情報には無理が生じている気がしてならない。これはもう、全く別の事件が敷島公園で発生し、その末に出没する霊だと想定した方が、こと説明するだけに限れば簡単である。

 そうだ、別の事件が起きていたのなら、可能性は大きく膨らむ…。

 しかし早合点してはいけない。そもそも、そのような推理には何の根拠もない。そんな現状にあるいま、このような無責任な予想は避けるべきだろう。

 もっとも、この推理はもとより、上記した全ての霊的情報が“真実”であったと想定した場合に限ってのことだ。もっと単純に「霊情報がガセネタであった」とした方が、より納得した結果が答えとして成り立つ。

 また、上記の霊的以外の、例えば殺害日時や殺害方法などは、あくまで「大久保清」の供述を基にしたものであり、個人的に立てた予想や推理も、それを元にしたものでしかない。
 また、再三書いているとおり、情報にあるような霊が、あくまで本当に出たと想定した上での予想である。

 よって、肝心なその予想が、例えば“ガセネタ”であったり、実は大久保の供述に偽りがあった場合には、今までの私の予想は、もろくも崩れ去ることになる。
 そうなってくると、「無駄な労力お疲れさま」といったコメントが多く聞こえてきそうだ。

 しかし思うに、そのような残酷な事件は嘘であれば、それに越したことはない。そのような事件は少なければ少ないほど、実は喜ばしいことなのだと私は思うのだ。

 しかし忘れてはならない。
 この敷島公園付近での情報が、例えガセであったとしても、大久保清による連続殺人事件の被害者8名が存在しているのは、悲しいことに紛れもない事実なのである。

 群馬県の高崎近辺の車で徘徊し、100人以上の若き女性に手当たりしだいに声を掛け、そのうち数十人と関係を持ち、その中の8名を殺害された残忍な事件は実際に起きていたのだ。

 母親に溺愛され、世間知らずのまま育っていき、また父親のねじ曲がった性癖を成長の過程で目の当たりにしながら大人になっていった“ぼくちゃん殺人鬼”は、過去に実際に存在していたのだ。

 その歴史から、我々は何を感じ取れば良いのだろうか。
 その答えは、ここでわざわざ書くべきことではないことだろう。答えなんて決して1つではないだろうし、またそんな押しつけがましい文章なんてものは書きたくもない。

 ただ、こんなサイトの管理者として、この事件を、このような手法で文章にしたことと、あとは8名の犠牲者のご冥福を心から祈ることが、個人的な答えでもある。




・参考文献
「日本怪奇名所案内」(二見書房:平野威馬雄)
「恐怖の心霊地図帖」(二見書房:中岡俊哉)
「隣の殺人者たち」(宝島社)
「実録戦後殺人事件帳」(アスペクト)
無限回廊」(Website:boro)


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